2014/9/21



▼『裏切りのサーカス』を鑑賞。▼裏切りのサーカスといっても、意地悪なピエロが出てくるわけではない・・・というくだらないことは置いておいて、「サーカス」というのは諜報部を指す隠語なのだが、それを知っている日本人は少ないだろうから、ちょっと不親切な邦題かもしれない。▼「一度観ただけでは理解できない!」というのがこの映画に対する売り文句みたいになっているのもどうなのかと思うが(それなら観ない!という人もいるかもしれない)、実際に観てみると言われているほどには難解な印象は受けなかった。▼観た後で映画を解説したサイトを読んでいると、いくつか見落としていた(見過ごしていた)場面もあったが、大筋では自分の解釈が間違っていないことを確認することができたし、そもそもどんな映画であっても、一度観ただけでそのすべてを理解することなど不可能に近いのだ。▼とは言え、この映画を難解だと感じる人も気持ちも分からないわけではなくて、重要な要素があっさりと描かれるだけであったり、何となくほのめかされるだけであったりすることが、通常の映画(=ハリウッド映画)の技法に慣れている人にとっては真意が汲取りにくく感じられるに違いない。▼例えば、ゲイ・テイストがこの作品には色濃く感じられたのだが、実に抑制された描き方なので、『シャーロック』で日本でも一躍有名になったベネディクト・カンバーバッチ演じるキャラクターがゲイであることに気付かない人も多いかもしれない。▼監督であるトーマス・アルフレッドソンの前作『ぼくのエリ 200歳の少女』(これもヘンな邦題)はさらに輪をかけて不親切な(観る者に分かりづらい)描写満載で、それが作品を難解なものに感じさせていたので、ある程度はこの監督の演出法あるいは編集意図に基づくものではあるのだろうが、この『裏切りのサーカス』に関して言えば、むしろそのことが凡百のスパイ映画とはまったく違った立ち位置と観客とを獲得することになったのだろうし、作品にミステリアスな奥行きと(ジョン・ル・カレの原作であるにも関わらず)純文学的なムードを付与することにも成功したのだと思う。



2014/9/8



▼モリッシーの『Viva Hate』を聴く。▼ザ・スミスは思春期のぼくに最も大きな影響を与えたバンドだった。▼レコードを何度も聴き、歌詞(訳詞)を何度も読み返すのはもちろん、スミスが影響を受けた音楽、ジャケットで引用された映画、モリッシーがインタビューで言及した作家がいれば、それらを調べたり探したりした。▼今聴いている音楽、観ている映画、読んでいる本のすべての源流はスミスにあるといっても過言ではない。▼スミスが解散した(より正確に言えば、ジョニー・マーが脱退したとき)というニュースを聞いたときには、それ以前にも以降にもないようなショックを受けたことをはっきり記憶している。▼そして、これからはジョニー・マーのことを追いかけていくんだろうな、とも感じていた。▼しかし、スミスが解散してからすでに四半世紀以上経つ現在、ぼくはジョニー・マーに対しても、モリッシーも関しても、ほとんど興味を持つことはなくなってしまった。▼ただ、かつて在籍していただけでなく、音楽的イニシアチブを握っていたバンドを想起させるような音をひたすら避けてきジョニー・マーとは対照的に、ザ・スミス的なるものをこの間もずっと背負い続けてきたのは(スミス時代には音楽的貢献度は低いと思われていた)モリッシーであることは認めざるをえないし、その点だけにおいても、ぼくはジョニーよりモリッシーのほうがかつてのファンに対して誠実であったと考えている。▼こんなことを書いているのは、久しぶりに聴き返した『Viva Hate』が思いのほか素晴らしく感じられたため。▼アルバムが発表された当時は「水で薄めたスミス」といったような評価が多かったし、個人的にもスミスとの距離感を計り兼ねているかのような、少しばかり煮え切らないレコードという印象を持っていた。▼今になって思うのは、当時目測を誤っていたのは、われわれザ・スミスのファンのほうだったのだ、ということ。▼しかしながら、このモリッシーの1stソロはスミスが解散して僅か半年程度でリリースされたために、スミスと較べるなと言う方が無理だったということは自己弁護しておきたい。▼時の流れはほとんどの場合無情で残酷だが、時間を経過しなければ分からないこともある。▼ところで、ぼくが持っている『Viva Hate』の1997年の再発盤は、本編については(ありがたいことに)オリジナルと同内容だが、ジャケットがまったく別物になっている。▼このアルバムに限らず、モリッシーのアルバムは再発されるたびに収録曲の差し替えや別編集、それにアートワークの変更などが行われるため、ファンにとっては悩ましいところだ。



2014/9/3

  

最近聴いたもの。

▼シューベルトの『即興曲集D.899&D.935』。▼シューベルトの作品にはそれほど詳しくないのでおこがましいかもしれないが、これまでに聴いた彼の作品のうちで最も好きな曲集である。▼クラシックを聴き始めてから比較的日が浅い頃に、この曲集の(別の)CDを購入したと記憶しているが、本当に好きになったのは『列車に乗った男』というフランス映画でD.935-2がとても印象的に使われているのを耳にしてから。▼最近では『愛、アムール』でも、D.899-1とD.899-3の2曲が使用されていた。▼どちらの映画についても、寡黙な作風のなかに叙情的なシューベルトが流れて、登場人物の内なる声を代弁しているかのように感じられたものだ。▼それぞれ4曲ずつで、全8曲を演奏すると約1時間にはなるので、決して短くはないが、シューベルトのピアノ・ソナタの「天国的な長さ」を知る者にとっては随分と聴きやすく、ほど良いサイズのなかにシューベルトのエッセンスが詰まった、彼のピアノ作品の精華だと思う。▼今回聴いたのは、アルフレート・ブレンデルによる70年代の録音。

▼ケイト・ブッシュの『Hounds of Love』と『The Sensual World』。▼現在『Before the Dawn』と題された、10月1日まで続くライブをロンドンで開催中の彼女だが、本格的なコンサートを行うのは35年ぶりとあって、チケットはすべてソールドアウト、そして彼女のすべてのアルバムがイギリスのチャートにランクイン、とちょっとした祭り状態になっている。▼『Hounds of Love』は彼女の代表作であるのみならず、各種メディアのベストアルバム・リストでも常連の一枚ともなっている(NMEが昨年発表したオールタイム・ベスト500アルバムでも48位にランキング)。▼「Running Up That Hill」はよく聴くが、アルバム全体を聴き通すのは久しぶりで、もっと大作のイメージを持っていたが、収録時間は48分に満たないのが意外だった。▼前半はポップな楽曲、後半は組曲というコンセプトは後年の『Aerial』と共通だが、『Hounds of Love』はよりコンパクトで、よりストレートな(分かりやすい)作品になっていると思う。▼「Running Up That Hill」と「Cloudbusting」という彼女の最も素晴らしい楽曲が含まれたアルバムであり、後半の『The Ninth Wave』と題された7曲からなる組曲は、今回のライブ『Before the Dawn』でもまるごと演奏されている。▼一方、『The Sensual World』はそのタイトルとは裏腹に(?)非常に落ち着いた作風で、マイケル・ナイマンやナイジェル・ケネディ、それにトリオ・ブルガルカといった、フィールド違いのゲストも参加しているのだが、そんな外部からの新規参入程度では左右されないケイトの世界観が完全に出来上がっている。▼このアルバムのなかでは「Reaching Out」や「This Woman's Work」など、ピアノ中心の楽曲が気に入っている。▼『Hounds of Love』が傑作すぎてあまり顧みられないアルバムだが、今もなお抗いがたい魅力を持つ作品だ。



2014/8/30



▼カラヤン指揮によるグリーグとシベリウスの作品集。▼元々は3枚のアルバムに分売されていた音源をまとめたもので、結果的にカラヤン名曲集みたいになっているが、素晴らしい楽曲・演奏・録音が揃った文句なしの一枚。▼収められた曲のうち、グリーグの『ホルベルク組曲』をちゃんと聴いたのは初めてだが、聴いた途端名曲であることを確信してしまう(というか、「あ、この曲聴いたことある!」と思ってしまう)作品だ。▼バロック音楽の様式を借りて書かれた楽曲だが、ストラヴィンスキーやシュニトケの、どちらかと言えばパロディの側面の強いそれらとは違って、グリーグはバロック音楽に真っ正面から、かつ大真面目に取り組んだような印象がある。▼ただし、旋律は隠しようもなくロマン派的で、そこがグリークの個性ということになるのかもしれない。▼併録されたシベリウスの管弦楽作品もいずれも名曲・名演奏で、素人のぼくにはカラヤンのシベリウスを批判する人が(とくに日本のクラシック・ファンに)多いのがよく分からない。▼『フィンランディア』はカラヤンにしては珍しく遅めのテンポだが、上手く緩急をつけた説得力のあるもので、これを聴くと他の演奏が「早すぎる」と感じてしまいそうになる、ある意味恐ろしい演奏。



2014/8/28



▼パブリック・イメージ・リミテッドの『album』(ぼくが持っているのはCDなので『compact disc』というタイトルなのだが)を聴く。▼この作品が発表された当時(1986年)は賛否両論の激しい議論が交わされていたことを記憶している。▼否定派の意見をおおよそ集約すると、「ロックは死んだ」と宣言したジョン・ライドンがこんなに真っ当なロック・アルバムを作るなんて「ジョン・ライドンは死んだ」と言うに等しいではないか、というものだったと思う。▼考えてみると、この当時はまだロックという音楽ジャンルに対して革新性や思想性といったものが当然の如く期待されていた時代だったのだろう。▼そのうえ、ピストルズからP.I.L.の『The Flowers of Romance』 にかけてのジョン・ライドンとは、まさにそういったロックの先鋭性を体現していた人物だったのだ。▼この作品以降、ジョン・ライドンは傾聴に値する音楽を生み出し得ないでいることを思えば、否定派の意見はたしかに的を得ていた部分があったのかもしれない。▼しかし、「ロックは死んだ」と宣った当人がロックを演ることの倒錯した逆説性を用いて、それまでのロックががんじがらめになっていた革新性や思想性といったものから解き放つことによって、ロック音楽が現在に至るまで(なんとかかんとか)延命することができたのもまた事実ではないだろうか。▼このアルバムに関して言えば、シングルとなった「Rise」はもちろん素晴らしいのだが、ハイライトはラストの「Ease」だと思う。▼坂本龍一のオリエンタルなシンセにスティーヴ・ヴァイのヘヴィメタリックなギターが絡み、その上にジョン・ライドンの呪術的なヴォイスが被さる様は無国籍というより多国籍風ごった煮音楽の様相を呈している。▼そして、その世界観はそのまま、同じくビル・ラズウェルのプロデュースによる翌年の坂本龍一のアルバム『NEO GEO』に引き継がれてゆく。



2014/8/24

 

最近聴いたもの。

▼ハイドンのチェロ協奏曲第1番と2番。▼鈴木秀美の独奏とクイケン指揮ラ・プティット・バンドによる演奏。▼チェロ独奏の音色がバックの音と溶け合うような演奏・録音がなされている(編成が小さいせいもあるかも)。▼バロック音楽と古典派音楽との中間的な響きがする音楽で、日曜の朝の食卓に似合うような雰囲気。▼とても爽やかで、主題も覚えやすく、ソロ・チェリストの標準的なレパートリーとなっているのも納得できる。▼ただし、第1番の楽譜は長い間紛失しており、その筆写譜が発見されたのはようやく1961年になってからとのことで、つまりスタジオレコーディングされたこの作品にはモノラル録音は存在しないということになる。▼これらの協奏曲が録音される場合は、カップリングには『協奏交響曲変ロ長調 Hob.I-105』が併録されることが多く、この盤も例外ではない。▼しかし、この作品については協奏曲とは違って、もはや完全に古典派音楽の響きになっている。▼この第四楽章冒頭を聴くと、いつもベートーヴェンの第九交響曲第四楽章を思い出すのだが、時代的に言っても、ベートーヴェンがこの曲をお手本にしたとしても不思議ではないのかもしれない。

▼ベックの『Morning Phase』。▼ベックはそれなりに聴いてきてはいるのだが、ほとんど処分してしまって、結局手元に残っているのは『Mellow Gold』だけ。▼どれを聴いても、それなりには良いのだが、それなり以上にはならない、適度にオルタナ、適度にメインストリームで、思い切った吹っ切れ方をしてくれない・・・バランス感覚に優れていて、それゆえに人気があるとも言えるのだが。▼なのに、今回のアルバムはとても沁みた。▼シンセの控え目で効果的な使い方が独特の浮遊感を作品にもたらしているのと、アルバム冒頭とラストがとても素晴らしい。▼「Morning」「Blue Moon」「Waking Light」くらいの曲が、8〜12曲目の間にもう1曲入っていれば大傑作になっただろうにという気はするが、そんなに簡単に名曲は生まれ出ないのだろう。▼いずれにしろ、前述の3曲はベックがネクストレベルのステージへと進んだことが感じられるような楽曲で、今後の豊かな創作活動をも予感させる。▼歌詞もなかなか素晴らしいので引用しておきたい。▼目覚めの光/君のシルエットが/ひとりの朝を浮かび上がらせる/夜は/時間をかけて朝に明け渡した/わかるまでに十分待った/思い出に取り残され/もう帰ることは出来ない/朝があなたを迎えに来たら/目覚めの光に僕を横たえてほしい(Waking Light)



2014/8/22

  

最近聴いたもの。

▼アーケイド・ファイアの『Reflektor』。▼前作『The Suburbs』は一般的な受けは良かったが、個人的にはまるでクラッシュのレコードでも聴いているような暑苦しさを感じて、イマイチ馴染めなかった。▼やはりこのバンドも、「1stが最高傑作」として後々語られるようなアーティストになるのかと思っていたが、このアルバムはかなりいい。▼元LCDサウンドシステムのジェームス・マーフィーをプロデューサーとして迎えたことが話題だが、とくにDISC2は彼を起用した効果が如実に表れていて、ところどころシンセの音色がニュー・オーダーっぽくなるのが面白かった。▼何よりテクノビートの導入で前作の暑苦しさが軽減されたのが良い(でもまだ暑いが)。

▼シギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンドによるハイドンの交響曲集。▼クイケンの演奏はスッキリと見通しのよいもの。▼ピリオド楽器の必然性を理屈ではなく聴感として納得させてくれる。▼収録された作品のうち、交響曲第98番については以前も触れたが、やはり素晴らしい交響曲であって、クラヴィーアのソロがあるのも面白いし、標題がついていないことが何とも悔やまれる。▼そして、交響曲第97番もそれに劣らず優れた作品であることが分かったのが今回の収穫。▼なんというか、ハイドンは向こうからはなかなか声をかけてはくれないが、こちらから近づいていけば、汲めども尽きぬ滋味豊かなものを与えてくれるような存在だという気がする。

▼アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリによるドビュッシー『前奏曲第2巻』。▼問答無用の名曲集である『第1巻』に較べ、この『第2巻』については雲をつかむようなアブストラクトな曲が多い印象があって、これまであまり親しんでこなかった。▼ところが先日、BSで放映されていたピエール=ローラン・エマールによる同曲の演奏を聴いたら、これまでになくすんなりと耳に入ってくるような気がして、その後改めてミケランジェリのCDを聴いてみた。▼まったくのド素人なので偉そうなことは言えないが、ミケランジェリの演奏はエマールのそれよりも叙情的であるように聴こえる。▼そして、今までが嘘みたいにつるつると曲が頭に沁み込んでくる。▼クラシック音楽の場合、何度聴いてもなかなか理解できない作品は多いが、それが何かのきっかけ(何であるかは分からない)によって突然理解できるようになることの快感。▼それは音楽を聴くことによって、もしかしたら音楽を聴くことによってしかもたらされない悦びなのかもしれない。



2014/8/17



▼ヤー・ヤー・ヤーズの『It's Blitz!』を聴く。▼エレクトロニカ・サウンドの導入によって、彼らが大幅な変化を遂げた意欲的な3rdアルバム。▼ただし、現在のわれわれはすでに4th『Mosquito』を聴いているので、それが一過性のものであることを知っているわけだが、個人的には『It's Blitz!』の路線を更に突き詰めてほしい気持ちもある。▼ストロークスもそうだが、こういったニューヨーク系のバンドがエレクトロニカを導入すると、なぜかブロンディっぽくなってしまうみたいで、「Zero」はもちろん、「Hysteric」などもバッキングトラックはそのままでデビー・ハリーに歌わせてみても何の違和感もなさそうだ。▼ぼくはブロンディというバンドにはさほど興味を掻き立てられないのだが、ちょうどニュー・オーダーがインディ・ロックとダンス・ミュージックをクロスオーヴァーさせた先駆者としてイギリスのバンドに多大な影響を与えているように、アメリカ人にとってはブロンディはいまだにインスピレーションをもたらす存在なのかもしれない。▼冒頭2曲はいかにもシングル向きの派手な楽曲を置く一方、「どうしても、ニックのギターを聴きたい!」というギターロック至上主義者のために、中盤には「Dull Life」と「Shame and Fortune」という素晴らしいナンバーを配し、後半は再び打ち込み音の入ったポップな曲を挟みながら、最後は「Little Shadow」でしっとりと閉めるというアルバム構成の妙が光る。▼それを考えると、ぼくが持っているデラックスエディションのボーナストラックである、アルバム収録曲4曲のアコースティックヴァージョンは蛇足かもしれないが、弦楽器を使用したアレンジが新鮮かつ効果的で、いずれもオリジナルと遜色のない出来となっている。



2014/8/11



▼ヴァシリー・ペトレンコ指揮のショスタコーヴィチ交響曲第4番を聴く。▼ペトレンコによるショスタコ交響曲チクルスについてはすでに各方面から絶賛されているが、ぼくが聴いた限りでは出来不出来はともかく、曲との相性みたいなものは結構あるのかなと感じる。▼しかし今回の4番は相性抜群で、素晴らしい演奏・録音だと思う。▼様々な曲想が錯綜し、特に第一楽章と第三楽章については正直言って冗長に感じられることもあったこの複雑怪奇な交響曲が、こんなにも格好良い曲だったんだ!と初めて思い知らされた。▼なかでも第一楽章中盤に出てくる、弦楽器によるフーガ部分の格好良さは、交響曲第8番第三楽章の執拗に繰り返される弦楽器のリズムに匹敵すると思う。▼ウィキペディアによると、この作品の作曲中にショスタコーヴィチはマーラーに熱中し、制作にあたっても参考にしたとのことだが、たしかに第三楽章冒頭の葬送行進曲風のフレーズはマーラーの交響曲第1番第三楽章冒頭部分とほほ同じだし、同じ第三楽章コーダ部分の金管によるコラールの、それまでの雰囲気とは異なる唐突な明るさなどもたしかにマーラーっぽい。(ウィキペディアは参考になるなあ!)▼ペトレンコの指揮はシャープだとか現代的なショスタコ演奏だとか形容されることが多く、たしかにその通りなのだろうけれど、テンポに関しては他の演奏に較べると微妙に遅く、とくに第二楽章ははっきりと遅く感じられるが、響きは(指摘されるように)シャープで弛緩するようなところはなく、鳴らす部分は豪快にオケを鳴らしている。▼若手指揮者による清新な演奏というよりは、ほとんど横綱相撲に近い印象だが、出てくる音の圧倒的説得力によって文句なしに寄り切られてしまう。



2014/8/10

  

最近読んだもの・聴いたもの。

▼サリンジャーの『フラニーとズーイ』。▼サリンジャーは『ライ麦畑』の次に読んだ『ナイン・ストーリーズ』にさほど感銘を受けず、それ以来縁遠い作家だったが、今回は例の例なる村上春樹の新訳が出たので手に取ってみた。▼驚くのは、「議論小説」と村上氏が解説で述べているように、作品のほとんどが登場人物たちの交わすディスカッション的な台詞で占められていることで、地理的なダイナミズムみたいなものは無いに等しい。▼これだと物語的には退屈になってしまうような危惧がするし、実際ぼくも途中のいくつかのポイントではそのような想いに捕らわれそうにもなった。▼それでも読み続けられたのは、この(展開の乏しい)話にどう決着をつけるつもりなのか?という興味があったからで、その点については期待を裏切られるようなこと(または、不安が的中するようなこと)はなかった。▼この偏差値の高い中二病のような作品にこんな読後感爽やかなエンディングが待っているとは!お見事。

▼ポール・ルイスの演奏による、シューベルトの『ピアノ・ソナタ第17番』。▼これも村上春樹つながりで、『海辺のカフカ』や『意味がなければスイングはない』のなかで言及されていた作品。▼この曲がシューベルト最高のソナタかどうかは怪しいところだが、いまさら最後の3つのピアノ・ソナタについて村上氏が触れても面白くも何ともないし、ぼくのように彼が取り上げたことで興味を持つ人もいるだろうから、やはり慧眼というべきだろう。▼シューベルトのソナタといえば、その長大さ・冗長さがよく言われるが、スケルツォやロンドがいずれも8分を超えるというのは一般的な基準からすればやはり長い。▼とはいうものの、この辺りはもう少し聴き込む必要がありそうだ。▼というのも、第2楽章はさらに長くて10分を超えるが、その美しさゆえに「天国的な」長さに感じられるのだから。

▼マニック・ストリート・プリーチャーズの『Futurology』。▼これは予想外の傑作で、このバンドにまだこれだけのアルバムを作ることのできるポテンシャルがあったことに驚いた。▼このアルバムと同時期に制作され、昨年先行リリースされた『Rewind the Film』については全編聴いてはいないが、何曲か耳にした限りではなんともヌルい感じの出来だっただけにさらに意外性は増す。▼おそらくバンド側としても『Rewind the Film』は余興的な作品で、初めからこの『Futurology』が本命であったのだろう。▼いつになく打ち込み系の音が多く、80年代ニューウェーブ(「Let’s Go to War」「Between the Clock and the Bed」)やクラウト・ロック(「Europa Geht Durch Mich」)の影響を感じさせるのだが、マニックスの場合、影響された音楽がそのままアウトプットされるのではなく、どことなく歪な形で表現されるところが面白い。▼良く言えば芯が通っている、悪く言えば不器用ということになるのだが、結果的にそれがどのシーンにも属さない独自のポジションを築くことに繋がっているのだと思う。▼先行シングル「Walk Me to the Bridge」のサビに出てくるシンセ、いまどきこんなにダサい音色を堂々と鳴らすことのできるバンドがいるだろうか?と唖然、しかし何度も聴くとこれがクセになってくる。▼グリーグの「山の魔王の宮殿にて」を引用した「Let's Go to War」や、英語とドイツ語で半々歌われる「Europa Geht Durch Mich」、ギターを弾きまくるインスト2曲など、いずれも紙一重なのだが、曲の良さで強引に納得させられてしまう。▼サッカーの応援歌集みたいな『Everything Must Go』が好きになれないぼくとしては、これは『The Holy Bible』以来の傑作だと言い切ってしまいたい。



2014/7/6

  

最近聴いたもの。

▼オイゲン・ヨッフム指揮によるハイドンの交響曲集。▼近頃ハイドンの交響曲がマイブームである。▼モーツァルトのそれよりアクが薄いことが一般的な不人気の理由なのかもしれないが、ぼくにはそれゆえに心地好く感じられる。▼有名曲以外では、第98番の交響曲が気に入った。▼通常、通奏低音として使われるクラヴィーアがこれほど前面にフューチャーされた交響曲というのも珍しいのではないか。▼ところで、ハイドンだけに限ったことではないが、『驚愕』『運命』『悲愴』といった標題や愛称のついた作品のほうが、ついていない作品よりも(その内容の如何を問わず)人気があるというのは、リスナーの怠惰でしかないと思うのだが、如何であろうか?

▼ドッジーの2nd『Homegrown』。▼その音楽性はオアシス、ティーンエイジ・ファンクラブ、キンクス、クークス、ザ・ビューといったバンドが想起されるような、ある種のブリティッシュ・ロックの典型的ともいえるようなもの。▼ただし、オアシスよりデビューが早いという事実は、このバンドの名誉のために言っておかなければいけないかもしれない。▼アコースティックとエレクトリック両方のギターをミックスさせる音作りは1stと共通だが、このアルバムはややエレクトリック寄りになっている。▼たまたま巡り合わせでこのアルバムを聴き返すことになって、昔聴いたときよりもずっと良い曲が揃っているなという感想を抱いた。▼このアルバムで一番好きなのは昔も今も2曲目の『Melodies Haunt You(メロディーズ・ホーント・ユー)』なのだが、ぼくには「メロディ〜ソンチュ〜♪」と歌っているようにしか聴こえない。

▼MORELENBAUM2/SAKAMOTOの『CASA』。▼「イパネマの娘」「ワン・ノート・サンバ」「ディサフィナード」といった超有名曲は含まれておらず、かなりのジョビン・マニアでもなければ全曲知っているという人はいないのではないだろうか。▼そんなマニアックな選曲からも推察されるように、これはジャンル音楽としてのボサノヴァをとりあげるというのではなく、坂本龍一なりのアプローチによって、ひとりの作曲家としてのアントニオ・カルロス・ジョビンの世界に迫ろうとした作品だといえると思う。▼よって、ジョアン・ジルベルトみたいな雅な軽やかさを求めると肩すかしを食らってしまう。▼アストル・ピアソラの作品をクラシック系の演奏家が演奏するときの感じをイメージしてもらうと近いかもしれない。▼こういった作品を聴くと、ドビュッシーやライヒと並んで、ジョビンの音楽が坂本龍一に与えた影響の大きさというものを実感させられる。▼ラストの「SEM VOCE」冒頭のチェロとピアノの二重奏を何の先入観も無しに聴けば、坂本龍一の曲だと勘違いする人も多いのではないかと想像する。▼これはある種のネタばらしなのかもしれない。



2014/6/28



▼ルー・リードの『Rock ‘n’ Roll Animal』を聴く。▼ヴェルヴェッツ時代の海賊盤なみのライブ・アルバムを聴き馴れていたので、「Sweet Jane」前のイントロが流れた瞬間、「音が良い、それに演奏も上手い!」とびっくり。▼コンサート自体もクラブなどではなく、ちゃんとしたホールで行われたのだろう、観客の歓声にもルーへの熱意と敬意が感じられる(でもルーはその観客に対して「シャラップ!」とか言っている)。▼音の意匠はルー・リードなりのグラム・ロック仕様になっていて、ギターがハードロックっぽくなったり、キーボードがプログレっぽくなったりする部分もあって、つまりはいかにも70年代的な音が鳴っている。▼でも、これがヴェルヴェッツの『1969 Live』より優れたライブ・アルバムかといえば、「No!」と言わざるをえないだろう。▼このアルバムで聴くことのできる音は、色をたくさん使いすぎているし、上塗りしすぎてもいる。▼「Rock ‘n’ Roll」後半のジャム・セッション風のくだりなどは、絶対ヴェルヴェッツではできなかっただろうと思わせるが、ロック音楽の場合、演奏技術の巧みさがそのままその音楽の魅力に繋がるとは限らないのが不思議であり面白いところ。▼それでも聴き通すことができたのは、気合いの入ったルーのボーカルのおかげで、後年のストイックで旋律の感じられない歌声とは違って、この頃のルーの声には色気があり、語りのなかにも歌が感じられる。



2014/6/19



▼坂本龍一の『COMICA』を聴く。▼サカモト流アンビエント・ミュージック、あるいは都市生活者のサウンドトラックとでもいうべき内容。▼「dawn」「day」「sunset」「night」というタイトルからも分かるように、最初の4曲は組曲的な繋がりを持つものになっていて、控え目な電子音のうえに素描的なピアノがポツリポツリと紡がれてゆく。▼この文章を書いている最中に流していてもまったく邪魔にならないどころか、意識しなければ音楽の存在さえも忘れてしまいそうな、まさに「アンビエント」な音楽でありながら、雲のような音の塊が後半になるにつれて徐々に高まりをみせていくところなど、能動的な鑑賞にも耐えうるクオリティとなっていることは(当たり前だが)さすがと言うしかない。▼後半2曲はピアノ抜きで、ややノイズ音楽、または現代音楽寄りの作品となっている。▼とくに5曲目の「d2」はこのアルバムの白眉ではないだろうか。▼聴く人が聴けば耳障りとしか思えないであろう高周波ノイズが逆説的な心地良さを誘う。▼以前にも書いたが、坂本龍一のメロディーメイカーとしての才能は、彼のラジカルな本質を隠してしまう、ときに諸刃の剣のような足枷となっているような気がすることがある。▼それゆえに、この『COMICA』のような、メロディーの呪縛から解き放たれたような作品を聴くと、彼のエッセンスがダイレクトに伝わってくるようで個人的には好ましく感じられる。▼ビミョーなイラストのジャケットのせいで損をしているが、コンディションにこだわらなければ比較的安価で入手することは可能なので、『out of noise』が好きな方であれば聴いてみても(聴き手は)損はしないと思う。



2014/5/30



▼ケイト・ブッシュの『The Dreaming』を聴く。▼彼女の最も成熟したアルバムといえば、やはり『Hounds of Love』(もしくは『Aerial』のDisc2)になるのだろうが、『The Dreaming』では彼女の最もトンがった過激な表現を聴くことができる。▼このアルバムをベストにあげるファンも多く、有名ミュージシャンではビョークやスザンヌ・ヴェガ、アウトキャストのビッグ・ボーイなどがこの作品をお気に入りの一枚として挙げている。▼ケイトが初めて単独プロデュースしたアルバムで、72トラックを使った録音方法についてよく言及されるが、実際聴いた感触としてはそれほど音数が多く感じられるわけではない。▼おそらく、同じ音をいくつものトラックに録音して音に厚みを出すような演出をしているのだと思う。▼「Sat in Your Lap」「Pull Out The Pin」「Get Out of My House」など、ヒステリック寸前の凄みを感じさせる楽曲が当初は強い印象を残すものの、「The Dreaming」の民族音楽的アプローチや「Night of The Swallow」におけるアイリッシュ音楽の導入など、さまざまな実験的な試みがなされており、なおかつアルバム全体としての完成度も高い。▼なお、このアルバム制作後にケイトが精神病院に入院したという噂をいまだにネット上などでみかけたりするのだが、これは日本のケイト・ファンだけの間に流布する都市伝説みたいなものなので念のため。



2014/5/20



▼ブーレーズ指揮ウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第3番を聴く。▼SACDハイブリッド盤を所持しているので、1ヶ月ぶりに(ようやく)帰ってきたプレーヤーのテストのために聴いてみた。▼この演奏の特徴は感情的な部分が何処にもないところ。▼第1楽章や第3楽章のコーダ部分では、たいがいの指揮者がオケを加速させてドラマティックな演出をするのだが、ブーレーズはテンポを維持したまま冷静に音楽を進めていく(それがいわゆるインテンポなのかどうかはぼくには分からないが)。▼同じブーレーズがシカゴ響を指揮したマーラーの9番を聴いたときにはその去勢されたかのようなテンションの低い演奏にがっかりしたものだが、この3番の演奏に関しては醒めてはいても内なるハートは燃えているかのような、大オーケストラ作品としての醍醐味を感じさせる迫力にも欠けてはいない。▼以前聴いたときには、独唱のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの声質に違和感を覚えたのだが、今回は不思議に心地良く響いた。▼彼女が歌ったラヴェルの『シェエラザード』(やはりブーレーズ指揮)は好きな録音だし、別に彼女の声と相性が悪いわけではないらしい。▼CDプレーヤーを修理に出している間、以前使っていたプレーヤーをセットしていたのだが、価格差で2倍以上あるだけあって、出てくる音が貧弱に感じられ、結局この1ヶ月間CDを聴くことはほとんどなかったので、現行機が戻ってきてほっとしている。▼以前のプレーヤーも初めて聴いたときにはその音の良さにびっくりした記憶があるのだが、グレードアップされた音を聴いてしまうとすっかり色褪せた感じがした。▼人間の耳のメカニズムはこれほどにいい加減であるのか、それとも適応能力が高いとみるのか難しいところではあるが、今使っているプレーヤーもさらに上位のプレーヤーに買い替えれば、きっと同じ印象を受けてしまうのだろう。



2014/5/11



▼ケイト・ブッシュの『The Whole Story』を聴く。▼CDプレーヤーが修理中でなかなか戻ってこないため、アナログ盤を聴き返している。▼ケイト・ブッシュのアルバムを買ったのはこのベスト盤が最初で、もともと「Cloudbusting」が好きだったのと、ジャケットが美しかったのが購入の理由。▼CDだとイマイチ分からないかもしれないが、LPサイズに大きくあしらわれたモノクロのケイトの写真はとても魅力的で、レジに持っていくときにドキドキしたのを覚えている。▼おそらく、ぼくよりもう少し年上の洋楽ファンにとって、ケイト・ブッシュというのは音楽的にも外見的にも美しくかつ奇矯な、特別な存在だったのだろうと想像する。▼ただ、このアルバムの前に出た『Hounds of Love』辺りからは外見的には落ち着きを見せ始めて、その音楽的な才能がいよいよ前面に出てきたように思う。▼作詞作曲からプロデュースに至るまでひとりでこなし、作品を完全にコントロールすることができた女性アーティストというのはポップ・ミュージック史上彼女が初めてだったのではないだろうか。▼年を取ってきたせいもあると思うが、最近のマイリー・サイラスやスカイ・フェレイラといった女性アーティストをみていると、そのあけすけで直截的な表現には辟易に近いものを感じてしまう。▼もしかしたら彼女たちが歌っているようなテーマをかつてはケイトも歌っていたかもしれない。▼しかし、そこには溢れんばかりの知性と創造力とが兼ね備わっていたように思う。▼そんなこともあってか、このごろまたケイト・ブッシュをよく聴いているのだが、これまでよりずっと彼女の音楽に魅力を感じているかもしれない。



2014/4/13



▼ミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』を鑑賞。▼127分の映画で総カット数は236しかないとのことで、だいたい1000カット前後と言われる(『ボーン・アルティメイタム』は4000カット以上!)通常の映画の基準に較べるとかなり少なめで、長廻しが多用されていることが数字的にも実証されている。▼じっさい、作品を観ていても「どこで切り替わるのだろう?」と思ってしまうような、あまりに長過ぎるように感じられるショットが多いのだが、それがなんでもないシーンでも何かが待ち受けているのではないか?という緊張感を観る者に強いる効果を生み出してもいる。▼その一方で、とくに会話シーンなどでは次に重要な答えが出されるという前でバッサリと切られたりもして、映画の約束事みたいなものをことごとく外していく、つまりはいつものハネケ作品となっている。▼ネットでこの作品を検索すると「ハネケの映画を観て初めて感動した!」的な感想が出てくるのだが、ぼくにはまったくそうは感じられなかった。▼映画としてはリアル過ぎる老人介護の描写を延々と映し出していくさまは、ハネケの(悪名高い)『ファニーゲーム』で監禁されてひたすら嬲られていく一家の姿にそのまま重なっていく。▼結局のところハネケは不変なのだが、カンヌでパルムドールを獲って周囲の目が変わったのか、「感動したい症候群」の一部映画ファンに消費されつつあるのか。▼ぼくはといえば、映画後半の幻想・妄想的なシーンの挿入や、鳩の象徴的かつ曖昧な使い方に作為的なものが感じられたのが残念だったのだが、ハネケは『ベニーズ・ビデオ』や『セブンス・コンチネント』のような初期作品が好き、というようなぼくみたいな人間はもはや稀になっているのかもしれない。



2014/4/12



▼安部公房の『他人の顔』を読了。▼彼の作品はいくつも読んできたのだが、この作品はとくに読みづらく感じられ、相当時間がかかってしまった。▼作品の骨格となるのは、ケロイド瘢痕で顔を失った主人公が残した3冊のノートと一通の手紙。▼しぜん、文章が告白・独白調となるのは致し方ないとしても、仮面製作について専門用語を多数ちりばめながらの延々とした記述についていけるかどうかが、初見の読者には好悪の分かれ道となるかもしれない。▼ドラマが動きをみせるのはようやく260ページを超えたあたりから。▼しかし、その後の叙述はドラマの高まりとは反比例してあっさりとしたものになっていく。▼なんだか狐につままれたような気分になるのだが、最後の一文にたどり着くとき、すべてが氷解する。▼これをずるい!と思うのか、やられた!と感じるのか。▼ぼくにとっては、時間を置いて、改めて読み直す必要のある一冊となったように思う。▼文庫本の解説は大江健三郎で、作品の構造に関する必然性や、存在論的視点からの分析を説得力のある筆致で試みていて、さながら日本文学史における「知の巨人」ふたりの邂逅に立ち会うような感慨を抱かせる。



2014/3/12



▼ジャパンの『Quiet Life』を聴く。▼最近はロック系CDの感想が多いので、これはいかん!とプロコフィエフの交響曲第2番を繰り返し聴いていたりしたのだが、惹起される感情を言語化するまでには至らず、結局頭をすっきりさせるために聴いたジャパンのCDについて書く。▼昔も今も人気の高い日本以外の国においても、このバンドに対する再評価の機運が高まるのではと個人的にずっと予想しているのだが、まったくその気配がない。▼バンド名やデヴィッド・シルヴィアンの見た目の麗しさといった、音楽以外の要素に飛びついてしまったのは、これまた昔も今も変わらない日本人気質だが、ことこのバンドに関しては日本人の嗅覚は正しかったのだと思いたい。▼以前にも書いたかもしれないが、ぼくはシルヴィアンはソロよりもジャパン時代のほうがずっと好きだ。▼坂本龍一やロバート・フリップ、それにホルガー・チューカイといった知的なミュージシャンとのコラボレーションを重ねた経験は彼を息の長いアーティストにしたかもしれないが、ポップ・スターとしての可能性を大幅に縮めてしまった。▼『Quiet Life』には、彼が気難しい音楽を演り始める前のポップでストレンジな魅力が全開だ。▼電気仕掛けのロキシー・ミュージックといった雰囲気のバックトラックに、シルヴィアンのヴィブラートのかかったヴォーカルが妖しく絡むこの世界が、その後デュラン・デュラン程度のバンドにしか引き継がれなかったのはつくづく残念に思う。



2014/3/4



▼レディオヘッドの『Hail to the Thief』を聴く。▼『Kid A』と『Amnesiac』の後のアルバムということで、当時かなり期待されていた作品で、実際当初のセールスは記録的なものだったと聞いているが、内容的には期待はずれだという声が多かった。▼発売直後に聴いたぼくも最初の3曲と最後の2曲以外は退屈な曲が続く、なんだかダラダラしたアルバムだという印象を抱いていた。▼また、このアルバムのEU盤と日本盤はあの悪名高いコピーコントロールCDで発売されたため(ぼくが持っているのもEUのCCCD)、その点についても熱心はファン(であればあるほど)から反発を招き、幾分感情的な批判も多く見受けられた。▼今回改めて聴いてみて、あの当時抱いていた違和感は何だったのだろうかと疑問に思う。▼今になってみると、この作品はその後の彼ら、あるいはトムのソロやアトムス・フォー・ピースの作品の萌芽となる要素を数多く聴くことができる。▼ぼくが退屈に感じた中間の9曲にそれは顕著で、薄めのサウンド・テクスチャーは『The King of Limbs』を彷彿とさせるし、「The Gloaming」はトムの『The Eraser』に入っていてもおかしくないような曲だ。▼さらに「Myxomatosis」の副題「Judge, Jury & Executioner」はそのまま『Amok』収録曲のタイトルになっている。▼おそらくアルバムのリリースから時間を経て、レディオヘッドは革新的な作品を作り続けなければならないという過剰な思い込みから(ぼくも含めた)リスナーが解放されたことによって、音楽そのものにニュートラルに向き合うことができるようになったのかもしれない。▼ぼくが当初から一番好きだった曲、ラストの「A Wolf at the Door」はジョニーがほぼひとりで書いた曲(歌詞はトム)だという。▼最近はペンデレツキの真似事みたいなことに忙しいジョニーだが、その才能はやはりポップフィールドで生かしてほしいと切に願う。▼なお、ウィキペディアによれば、この曲はベートーヴェンの月光ソナタを下敷きにしたとのことだが、ぼくにはベートーヴェンの月光ソナタを下敷きにしたビートルズの「ビコーズ」をさらに下敷きにした曲であるように聴こえる。



2014/2/26



▼フランク・オーシャンの『channel ORANGE』を聴く。▼フランク・オーシャンというのはもちろんステージ・ネームで、フランク・シナトラとビリー・オーシャンを掛け合わせたようなその名は、日本でいえば「北島ひろし」といったところだろうか(違うか)。▼そんなことはともかくこのアルバム、驚愕してしまうほど素晴らしい。▼「Pyramids」という曲のとんでもなさは発表当時から認識していたが、もともとR&B系の音は得意ではなく、「どうせあの曲だけでしょ?」というシニカルな見方もあって、アルバムを聴くのが遅れたことに恥じ入ってしまう。▼とにかく全編にわたってスムース&メロウ&スウィート!曲間をいくつかのインタールードで繋ぐ感じはTLCの『CrazySexyCool』を想起させもするが、あれよりもずっと完成度は高い。▼「Thinkin Bout You」「Sweet Life」「Super Rich Kids」「Lost」「Pink Matter」「Forrest Gump」・・・とにかく次から次へと名曲のオンパレードで、「Pyramids」だけが際立っているわけではないというのがすごい。▼さらに本編ラスト曲「End」の後、ボートラ的に入っている「Golden Girl」がこれまたやけに爽やかな名曲なのだから参ってしまう。▼このアルバム発表当時は彼のセクシュアリティーに関する記事ばかりが世間を賑わせたような印象でやや気の毒だったが、これはその音楽だけで本当に衝撃的な一枚。



2014/2/24



▼ラース・フォン・トリアーの『メランコリア』を鑑賞。▼カンヌ映画祭での問題発言はあったが、映画自体はおしなべて高く評価されていたので、もしかしてと期待していたぼくがバカでした。▼『奇跡の海』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を作った監督である、観る者に感動とか浄化作用を与えるなんてことは今回ももちろん無いのであった。▼と言っても、決してつまらない作品ではないところが、トリアーの困ったところ。▼自身の歪んだ世界観をこのうえなく美しく撮れるということではやはり希有な才能だ。▼冒頭の約8分間、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の第1幕前奏曲をバックにスーパースローモーションを効果的に使って展開されるイメージの美しさには心奪われる。▼映画はジャスティンとクレアという姉妹を中心とした2部構成をとっているが、それぞれを演じたキルスティン・ダンストとシャルロット・ゲンズブールが非常に魅力的。▼特に第2部『クレア』ではふたりともほぼノーメイクで、皺もけっこう写り込んでいるのだが、それさえも美しく感じられる。▼この映画に限らず、女子どもにも容赦ないトリアーだが、それでも名だたる女優が出演するのは(清濁併せ)女性を撮ることができるからだろう。▼もう一点感心したのは、これは世界の終末を描いた一種のディザスター映画であるにもかかわらず、舞台を人里離れた姉夫婦の豪邸に絞ったことで、かつてゴダールが『アルファビル』で現代のフランスをそのまま撮ってSF映画に仕立てたときのように、大仰なCGや莫大な予算を使うことなく(『アルファビル』よりはお金はかかっているでしょうが)創造的でパワフルな作品に仕上がっていること。▼外世界のパニックが一切描かれていないため、映画は不思議なくらい静かなトーンで進んでいくが、それゆえにラストの世界の終末(と言っても画面に写るのは3人だけ)の映像と音響のすさまじさが際立ってくる。▼ぼくはこの作品を映画館で観ることはできなかったが、きっと『ユナイテッド93』のときみたいに無言で気まずい雰囲気が上映後の劇場には流れていたに違いない。▼この映画を観てかんかんに怒る人もいるだろうし、ぼくもあんな幼い子どもを最後まで出さなくてもいいのにという気もした。▼しかしトリアーの他の作品と同じく、観終わった後に何かが突き刺さっている。▼毒にも甘美なものにもなりえる刺のような何かが。



2014/2/14



▼先日「大阪に次に雪が積もるのは何年後になるだろう」と書いたら、また雪が積もった。▼いつもより早目に家を出なくてはいけない羽目になったが、雪のせいであればそれもワクワクする。▼豪雪地方に住む方はたくさんの苦労がおありかと思うが、大阪に住んでいると滅多に見ることのできない積雪の、目に映る景色を一面真っ白に変えてしまうマジカルな驚異には心打たれるものがある。▼仕事を終えて帰宅後にメールチェックするとダフト・パンクの『Random Access Memories』が届いたとのメールが来ていたので、再びコートを羽織って近くのコンビニへ受取に行った。▼わざわざこんな日に、とも思ったが、こんな夜だからこそという気もして、雪道を転んでケースを割ったりしないよう足を踏みしめながら家路へ急いだ。▼すでにYouTubeでアルバム全編聴いていたので分かっていたことだが、やはり素晴らしいアルバムだと実感させられた。▼「Get Lucky」をはじめて聴いたときにはすぐに飽きてしまうのでは?と感じていたが、1年近く経っても飽きないし、あらためて凄い曲だと思う。▼何が凄いって、この時代に何らかのストーリー性や付加価値に頼ることなく、純粋に音楽そのものの良さによって評価されて、それが大きなセールスにも結びついたということ(しかも、このアルバム前のダフト・パンクは既に最先端の存在ではなくなっていたのに!)。▼佐村河内守氏とは対照的なありかたというか、これが本当の「奇跡」なのかもしれないと思ったりする。▼ジョルジオ・モロダー、ナイル・ロジャース、ポール・ウィリアムズ、ファレル・ウィリアムス、ジュリアン・カサブランカス、パンダ・ベアといった豪華な客演陣についても、それが戦略的な人選ではなくて、ダフト・パンクのふたりが本当に好きなミュージシャンと共演しているのだということが音楽を通して伝わってくる。▼敬愛するミュージシャンとの親密なセッションから生まれた音楽、その親密さがこんな寒い夜には相応しい。



2014/2/8



▼各地で積雪のニュースが流れるなか、今日の大阪では朝早くからすでに雪から雨へと変わり、知る限りでは交通機関等の乱れもなかった。▼とりあえず雪が溶ける前にと、朝のうちに外に出て娘のために雪だるまを作ることにした。▼大阪の場合、次回雪が積もるのは何年後になるのか分からないし、その頃には娘はもう雪だるまになど見向きもしないかもしれない。▼なんとか小さめの雪だるまが出来た後は、寒さでもう外になど出る気もなくなり、一日中家の中でゴロゴロしていた(いつもの休日という話もある)。▼気候のせいもあるが、近頃なにかと落ち着かず、心のなかでさざ波がいつまでもやまないような気がして、ゆっくりと音楽を聴く時間が持てないでいたのだが、今日は一念発起して(というほど大袈裟なものでもないが)スピーカーの前に鎮座した。▼取り出したのはブライアン・イーノの『Ambient 1: Music for Airports』。▼雪と寒さに覆われ、部屋に閉じ込められた日(今日はなぜか大仰な表現ばかり)にはぴったりの音楽だ。▼ちゃんとCDの端から端まで聴き通すのは何年ぶりか、おそらく前回大阪に雪が積もったときより前のことだろう。▼ピアノとシンセサイザーと声によるシンプルなパターンが延々と繰り返される音楽。▼どこを切り取ってもほとんど同じであることが、人々が立ち止まることなく行き交う空港の音楽にぴったりだとイーノは考えたのだろうか。▼どこにも行けない一日、部屋のなかに篭りながらイーノの音楽と付かず離れずにいる。



2014/2/7

▼佐村河内守氏のゴーストライター騒動を興味深く見守っている。▼この騒動の前からぼくも一応は彼の存在を認識してはいたが、基本的に疑り深い性格なので、NHKのドキュメンタリーは見ていないし、その音楽も聴いてはいなかった。▼今回の事件を受けて、YouTubeで例の『HIROSHIMA』交響曲のさわりだけ聴いてみたが、途中で辞めた。▼音楽のなかに本質的なものはないと感じたからだ。▼情報技術の発展による社会変革によって、すべてが白日のもとに曝されるようになってしまった現在、奇跡「的」な出来事というのは起こりにくくなっていると思う。▼サリンジャーのような作家、カルロス・クライバーのような指揮者というのも今後は出てくるのが難しいかもしれない。▼そしてだからこそなのか、われわれは奇跡「のような」出来事をより強く渇望したくなる傾向があるのかもしれない。▼と同時に、現在の日本のメディアにおいてはニュースとドキュメンタリーとドラマとバラエティ番組との境界が曖昧になり、虚構と現実とが峻別することなく送られ、受け手もそれをただただ受動している節がある。▼何かおかしいなとどこかで感じてはいても、波が起こればそこに乗り遅れないように躍起となり、実情が明かされれば手のひらを返したようにみんな揃ってバッシングする。▼今回の騒動にはそんな現代のさもしい社会の縮図があるような気がして目が離せないでいる。▼音楽はその付帯物にしか過ぎないというのが寂しいのだが、もしかしてそれは騒動の前からそうだったのかもしれない。


2014/2/2



キーボードの前に座って、頭に浮かんだことをそのまま叩いていく。
あるいはその日いちにちに起こった出来事を羅列していく。

ホームページをそんな場にしたいという想いは断続的に湧き上がるのだが、
じっさい、キーボードの前にして何も思い浮かばず、ただ漫然とネットサーフィンしてしまったり、
何も起こらず、記録するのも躊躇われるような日ばかりだったりする。

坂本龍一が映画音楽制作の極意を「映像の力が弱い所に音楽を入れる」ことだと答えている。
映画初出演作『戦場のメリークリスマス』における自身の演技のあまりのヒドさに驚愕して、
自分の演技している箇所に音楽をつけて補おうとしたというエピソードも同時によく語られる。

ぼくが音楽を好きなのは、たくさんの音楽を必要としているのは、
あるいは、くだらない日常の裏返しなのかもしれない。
日常のくだらない所に音楽を入れて、生活を補おうとしているのかもしれない。

だからなのか、今日もまたぼくは音楽に耳を傾けている。


ということを、キーボードの前に座って考えてみた。(画像は今日聴いていたサティのピアノ曲集)



2014/1/20

 

▼坂本龍一の『/04』と『/05』を聴く。▼アルバムの大部分は過去の自作曲をピアノ用に再アレンジしたもので占められているのだが、「戦メリ」や「ラストエンペラー」のような代表曲ばかりでなく、あまり知られていない曲やここでしか聴けないレア音源も含まれている。▼新曲が次々出来る状態であれば過去曲を再演する必要はなく、だいたいにおいてミュージシャンがセルフカヴァーを試みるようなときは才能が枯渇しつつあるというのが相場であって、坂本龍一の場合も21世紀以降オリジナルアルバムの創作ペースは落ちてきているのだが、これらのアルバムは悪くない、というかぜんぜん悪くない。▼「Riot In Lagos」や「Thousand Knives」といった、打ち込みで緻密なアレンジを施されていた楽曲がピアノ用に(オリジナルよりは)シンプルな形でリアレンジされることによって曲本来が持つ核のような部分が抽出されて響いてくるような印象がある。▼「Thousand Knives」のサビが2回繰り返される部分のダイナミクスの変化の表現はピアノのほうが向いているのではないかと思ったくらい。▼以下、それぞれのアルバムで気に入った曲を1曲ずつ。▼『/04』収録の「+33」はルイ・ヴィトン150周年を記念して制作された楽曲。▼スティーヴ・ライヒ的なピアノの執拗なトレモロを繰り返すバックトラックのうえに、ラヴェルを思わせるような旋律が乗せられる。▼こういうのは普通のポップ・ミュージシャンには知識がなくて出来ないし、現代音楽家にとっては厚かましくてやはり出来ないし、ある意味坂本龍一のポジションだからこそ出来ることなのかもしれない。▼『/05』では「Happyend」。▼元々は坂本のシングル「フロントライン」のB面に収録されていた曲だが、一番多く聴かれてきたのはYMOの『BGM』に収められたヴァージョンではないだろうか。▼ただ、『BGM』のヴァージョンはダブの手法で主旋律を削除するようなミックスが施されているため原曲の良さがまったく損なわれているし、原曲もシンセの音色などが現在だと古めかしく聴こえてしまう。▼『/05』のヴァージョン(ピアノ4台の多重録音)によって、ようやく楽曲が持つ真価が分かりやすく伝わるようになったという感慨、この曲だけのためにアルバムを購入しても損はない。



2014/1/12



▼坂本龍一の『Beauty』を聴く。▼『ラストエンペラー』のあと、本格的な海外進出第一弾アルバムということもあってか、かなりの気合いの入りようで、1曲目「Calling from Tokyo」冒頭の三線の響きを聴くだけでそんな力感のようなものが伝わってくる。▼ブライアン・ウィルソン、ロビー・ロバートソン、アート・リンゼイなど豪華ゲストが参加しているが、なかでもオキナワチャンズとユッスー・ンドゥールは多くの曲でメインあるいはバック・ヴォーカルとしてフューチャーされており、今作の顔というか、音のカラーみたいなものをある意味で決定付けていると思う。▼カバー曲が多い(5曲)のもこのアルバムの特徴だが、ストーンズの「We Love You」とバーバーの「Adagio」は選曲もベタだし、アルバムのなかでさほど際立った印象も受けず、なぜ取り上げたのかやや意図を計りかねる。▼しかし残りのカバー曲である「安里屋ユンタ」と「ちんさぐの花」という沖縄の曲と、フォスターの「金髪のジェニー」に沖縄方言の歌詞をつけて、アレンジも沖縄音楽風にした「Romance」の3曲は間違いなく今作のハイライトだといえる。▼「ちんさぐの花」の長い間奏部分において、同じフレーズを繰り返す三線のバックで、坂本のシンセイサイザーの音が慎ましくも美しく絡んでいく様は圧巻で、ちょっとしたトリップ感を味わえる。▼日本・アメリカ・カナダ・中国・セネガルなど、様々な国籍のミュージシャンが参加し、それぞれの個性がブレンドされて、まさにハイブリッドな音楽が生み出されている。▼それはどこの国の人が聴いても異国風に聴こえる音楽、つまりはワールド・ミュージックに他ならないのではないか。




→ memo過去ログ2

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