2017/9/11

  

最近聴いたもの。

▼マックス・リヒターの『The Blue Notebooks』。▼このアルバムに収められた"On the Nature of Daylight”は、マーティン・スコセッシの『シャッター・アイランド』とドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』の劇中使用されて、21世紀に生まれたクラシック音楽のなかでも最大のヒット曲(?)のひとつ。▼電子音や重低音ノイズ、タイプライター音やナレーションなどの上に、弦楽器によるミニマムな旋律が立ち現れてはまた消えてゆく、4曲目の"Shadow Journal”も素晴らしい。▼その他の曲においても臆面もないくらい美しい旋律が随所に散りばめられ、トータル的な作品設計の巧みさもあって、アルバムとしての完成度はとても高いと思います。▼これが現代音楽の最先端なのか?と言われると、言葉に詰まってしまう部分もありますが、ジャンルに拘りすぎているのはミュージシャンではなく、むしろリスナーの方なのかもしれません。▼保守的な(あるいは先鋭的な)クラシック音楽ファンよりも、坂本龍一やブライアン・イーノ、あるいはエイフェックス・ツインなどのインテリジェントなポップ・ミュージックを好む層にアピールしそうな作品。▼ちなみに、ぼくが持っているのはドイツ・グラモフォンからの再発盤で、”On the Nature of Daylight”のオーケストラ・ヴァージョンがボーナス・トラックとして収録されています。

▼ティグラン・ハマシアンの『An Ancient Observer』。▼アルバムに収録された"The Cave of Rebirth”のPVを見て、すぐに好きになってしまった。▼その曲を聴いたときには、パット・メセニーの楽曲をキース・ジャレットが演奏したみたいな印象を受けましたが、アルバムのその他は、スティーブ・ライヒみたいな曲や、ハマシアンの出身地であるアルメニアの音楽を元にした曲もあって、様々なジャンルのハイブリッド、もしくはそれらをフュージョンさせた音楽で、正当派のジャズとは言えないのかもしれないけれど、(その気になれば)あらゆる音楽にアクセスすることのできる現代におけるジャズの優れた在り方のひとつを呈示していると思います。▼(もっとも、本人にとってはカテゴライズされること自体迷惑なのかもしれませんが)▼全曲ハマシアンのオリジナルで、新しくもどこか郷愁を感じさせるような、その作曲家としての実力もかなりのもの。大注目!

▼坂本龍一の『async』。▼極端に聴き手を選んでしまうような、人によっては記号論的な音列を並べただけの作品に聴こえかねないような、前作の『out of noise』以上に挑戦的で、過激で、それでいて静謐な楽曲たち。▼アルバム中、最も分かりやすい旋律を持つオープニングの「andata」の途中から立ち現れるノイズに、アルバムが進むに連れて徐々に浸食されてゆき、最終曲「garden」では遂にその音響にすべてが覆われてしまう。▼優れたアルバムの多い人なので、これが最高傑作!とは簡単には言えないけれど、『B-2 Unit』や『Esperanto』とはまた違った音楽の到達点と呼ぶべき、極北の一枚。▼何より嬉しいのは、この後まだまだ教授には凄い作品が作れそうなポテンシャルに溢れていること。



2016/5/31



エルトン・ジョンの『Goodbye Yellow Brick Road』を聴く。

ぼくが音楽を聴き始めた1980年代のエルトン・ジョンはすでにピークは過ぎていたし、派手なステージ衣装とプライヴェートな出来事でゴシップ欄を賑わせる「THE 芸能人」という感じで、まったく興味を憶えるということがなかったのだが、最近になって彼に関する短いドキュメンタリーを見て以来、このアルバムのタイトル曲が頭から離れなくなってしまい、遂にアルバムを購入するに至った。結果、アーティストを本業以外の部分で判断してはいけない、そして、音楽は虚心坦懐に聴かなくてはいけない、ということを改めて思い知らされることになった。

発表当時はアナログ2枚組に収められた全17曲には、いわゆる捨て曲が一切無いばかりか、シングルカットされた4曲以外にもなぜこの曲がシングルにならなかったのか?と思わせられるような曲が目白押しのすごいアルバムで、もしこの作品が80年代に発表されていたなら、アルバムの半分くらいはシングルカットされていたのではないだろうか。

実のところ、なぜシングルカットが4曲だけ(というのも何だが)だったのかははっきりしていて、当時のエルトン・ジョンのアルバムリリースのペースが早過ぎて、そんなにシングルカットしている暇がなかったから。『Goodbye Yellow Brick Road』がリリースされたのは1973年の10月で、前作『Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player』が1973年1月、次作『Caribou』が1974年6月と、8〜9ヶ月に1枚というハイペースで作品を発表し続けている。しかもそれぞれのアルバムのなかに「Crocodile Rock」、「Goodbye Yellow Brick Road」(あるいは「Candle in the Wind」)、「Don't Let the Sun Go Down on Me」という後世まで残る(売れ続ける)ヒットソングが含まれているのだから、レコード会社にとっても異論はなかったのだろう。

ちょっと想像してみるのだが、ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』やデビッド・ボウイの『Low』を手渡されたレコード会社の担当者は素晴らしい作品だとは感じたかもしれない(あるいは感じもしなかったかもしれない)が、どうプロモーションしたらいいのか、きっと頭を抱えたに違いない(サーフィーンも海も車も一切出てこないアルバムと、作品の半分はインスト曲で占められたアルバム)。一方、エルトンのプロモーション担当者はそんなことには無縁で、アルバムを聴いてこう言ったのではないだろうか。「エルトンさん、新作最高です!こいつは大ヒットしますよ!」(←すべて想像です)

この、作品の良さがそのままヒットに繋がるような、どメジャーな音楽性は、ボウイのように格好良いわけでもないエルトンを世界のスーパースターへ導くことになったが、ロック史上のベストアルバム的な企画で、『Goodbye Yellow Brick Road』が『Pet Sounds』や『Low』よりも高く評価されることが決してない要因であるのかもしれない。

とは言え、このアルバムが素晴らしいことには何ら変わりがない。1980年代以降のエルトンのシングル群に較べれば、この作品に収められた「Sweet Painted Lady」「All the Girls Love Alice」「Grey Seal」「I've Seen That Movie Too」「Harmony」といった当時はシングルにならなかった楽曲(「Harmony」は後になってシングルカットされた)のほうがはるかに優れているのは明らかだろう。さらに言ってしまえば、エルトンの全キャリアを振り返るベスト盤を買って、半分は悲惨な曲を聴かされる羽目になるよりは、『Goodbye Yellow Brick Road』を聴いたほうがいい。エルトン風レゲエ(「Jamaica Jerk-Off」)、エルトン風カントリー(「Roy Rogers」「Social Disease」)、「Crocodile Rock」に続く戯画的ロックンロール(「Your Sister Can't Twist (But She Can Rock 'n Roll)」)もバッチリ決まった、言葉本来の意味における「ベスト」なアルバムだといえる。



2016/5/9



レディオヘッドの『A Moon Shaped Pool』を聴く。

ロッキング・オン的な大仰な物言いに信用が置けないことはもはや分かりきっているが、それにしても先行シングルの「Burn The Witch」は期待外れな曲だった。だって、レディオヘッドの5年ぶりのアルバムからのファーストカットがこれだよ!?みんなこのくらいの楽曲で満足するくらいレディオヘッドに対する期待値は下がっていたの!?という感想から1週間もたたないうちに彼らのニュー・アルバムが届けられることになった。

改めてアルバム中の1曲として聴いてみてもその印象は変わらないが、ありがたいことにこれはちょっと辛目のアペリティフにしか過ぎなかった。20年以上前の曲(「True Love Waits」)を初めとして、以前から彼らのライブ等で演奏されてきた曲が中心となっているために、寄せ集めの作品という誹りを受けかねないようにも思えるが、この美しいアルバムを聴いているとそんなことはどうでもよくなってしまう。むしろ、彼らの楽曲が持つ時代を超えた普遍性とそのアレンジ能力の高さに刮目することになるだろう。

近年のレディオヘッドはメンバーのソロ活動が活発になっており、トム・ヨークの気ままな課外活動を見ているとレディオヘッドに対してそれほどの存在意義を見出していないのではないかという危惧をファンに抱かせてもいたが、こうして新作を聴く限り、トムのバンド外における電子音響の実験と、ジョニー・グリーンウッドがサントラ仕事で培ったストリングス・アレンジの技術とがちゃんとレディオヘッド本体に還元されているばかりか、ソロ活動以上の高次元でそれらを作品として結実させていることが分かる。

オススメ曲は全部!(あ、「Burn The Witch」も一応)以上!黙って聴け!と言いたくなってしまうが、少しだけ書いておくと、「Ful Stop」「Glass Eyes」「Identikit」「The Numbers」と続く中盤の流れが際立っていて、バンドサウンドとオーケストラとが一体となって、しかし決して熱くはならないうねりみたいなものが感じられて素晴らしい。

レディオヘッドが曲(ボーカルの旋律)だけではなく、音そのものというか、音響のすべてを聴かせようとしているのは明らかで、考えてみれば、『Kid A』時の「ロックなんてゴミだ」というトムの発言や、それ以降のギター・サウンドとの別離などもその文脈で考えると納得できるような気がするのだが、今作においてはそういった頭でっかちな部分やコンセプトとかは超越して、複雑なことをしているに違いないのにとても自然体なものとして音楽(サウンド)が響いてくる。寄せ集め的な楽曲や(一見)スムーズなサウンドにレディオヘッドもいよいよ追憶をはじめたのかと思われるかもしれないが、この複雑なことを複雑とは感じさせない、能ある鷹は爪を隠す的なサウンドがレディオヘッドの新境地であると思う。

レディオヘッドの新作発表がどうして毎回これほど話題になるのか、あるいは部外者には分かりにくいかもしれない。それは、たとえばビートルズやデビッド・ボウイやセックス・ピストルズとは違って、このバンドには文化的な背景と一緒に語られることが(ほとんど)ないからかもしれない。しかしその理由は彼らのレコードを聴けばすぐに分かることだ。実際、彼らほど音楽にすべてを語らせているバンドも珍しいのではないだろうか。いや、むしろ音楽以外のことを語る(見せる)必要が生じていることに近代音楽産業における問題点があるのかもしれないのだが、そこには無縁であること、また無縁でいられることにレディオヘッドの特殊な立ち位置を確認することができる。

さあ、もうそろそろペンは置いて、レディオヘッドの新作に(前作とは違って)11曲も収録されていたことに感謝しよう。そして、紛うことなき傑作であることにも。



2016/1/24



▼ライアン・アダムスの『1989』を聴く。▼ライアン・アダムスがテイラー・スウィフトのアルバムを全曲カバーすると聞いたときはタチの悪い冗談か、ライアンがスウィフトをおちょくっているのかと思っていたが、聴いてみるとこれが、とてつもなく真剣に、かつ、おそろしいほど誠実に作られたカバー・アルバムなのであった。▼ライアンがこの作品をつくるにあたって参照したのはザ・スミスとブルース・スプリングスティーンであったらしいが、なるほど、全編にわたってスミス時代のジョニー・マーのようなキラキラしたギターサウンドを聴くことができるし、オープニングの「Welcome to New York」は、まるでスミスをバックにスプリングスティーンが歌っているみたいだ。▼その昔、スミス的なものがやりたかったライアンが初期スミスのプロデューサーでもあったジョン・ポーターを迎えて『Love is Hell』を制作したところ、正統派アメリカン・ロック的なものを求めるレコード会社にリリースを拒否された(その後、1枚のアルバムを間に挟んで結局正式リリースされるのだが)ということがあったが、この曲を聴いていると、そのふたつの要素は共存可能であったのではないかと思わせる。▼正直言って、オリジナルのテイラー・スウィフトの音楽は、ぼくのようなロック歴30年以上のオッサンには、軽くてポップで煌びやかで、聴いていて気恥ずかしくなってくる(「Shake It Off」のビデオはさらに気恥ずかしい)のだが、ライアンのヴァージョンはフィルムのポジをネガにしたような、オリジナルにはない苦みや渋みといった深い味わいを感じさせるものになっている。▼「Welcome to New York」も、「Bad Blood」も、「Wildest Dream」も、「Clean」も、ぼくはオリジナルよりライアン版のほうがずっと優れていると考える。▼「Wildest Dream」のサビのタイトルを連呼する部分で、ライアンは微妙に節回しを変えてみせる。▼そのラインの、胸をしめつけられるよう響きは、このアルバムがリメイクではなく、リクリエイトであることを象徴するかのようだ。▼もちろんこれはカバー・アルバムなので、オリジナルのスウィフトにそれだけの可能性が秘められていたということは間違いないのだが、それを見出したライアンの慧眼とシリアスに作品に取り組んだ姿勢は賞賛されるべきだろう。▼あまり他に例を見ない、この全曲カバー・アルバムは、スウィフトの作品に新たな光を当てるとともに、尻すぼみになりつつあった近年のライアン・アダムスのキャリアにとっても光明となりえるかもしれない。



2015/10/13



▼ブレット・イーストン・エリスの『帝国のベッドルーム』を読了。▼『インフォーマーズ』(1994年、邦訳は1997年)を最後にブレット・イーストン・エリスの小説は日本では出版されておらず、今作も邦訳が出ることを諦めていたのでチェックしていなかったが、いつの間にか(2014年)出ていたらしい。▼これを気に、未訳の『グラモラマ』と『ルナ・パーク』の邦訳版の発売もぜひ実現してほしい。▼エリスのデビュー作『レス・ザン・ゼロ』の直接的な続編(間接的にはエリスの作品はすべて繋がっている)となる今作は「かつてわたしたちの映画がつくられたことがあった。ある知り合いの書いた本が原作だった」という書き出しでメタ小説的な作りになっているが、その必然性があるのかどうかは正直よく分からない。▼『レス・ザン・ゼロ』と同じ、クレイという人物の一人称で語られていくのだが、翻訳のせい(『レス・ザン・ゼロ』とは訳者が異なる)なのか、原文のせいなのか、文章はいくぶん読みづらく、意図を汲み取りかねる部分もある。▼原因はともかく、その文体の変化に呼応するかのように、『レス・ザン・ゼロ』における冷めた語り手というクレイのキャラクターがこの『帝国のベッドルーム』ではひどく子ども染みて滑稽なものへと変質している。▼『アメリカン・サイコ』の主人公パトリック・ベイトマン(クレイの兄)がヤッピーといいながら、ほとんど働いている様子がないのと同様、今作のクレイも脚本家の設定にも関わらず、脚本を書いている描写や素振りはない(ただし、脚本家のオイシイ部分を利用して女優や男優には手を出しまくる)。▼ スマホやSNSといった同時代性アイテムの巧みな取り込み方や、猟奇的なシーンにおいても変わらない冷徹な描写力など、日本の村上龍と似た部分があると感じるが、エリスのほうが若い分だけ、いまだ鮮度を失っていないような気がする。▼一時期『レス・ザン・ゼロ』をバイブルのごとく、いつでも持ち歩いていた者からすれば、初期の2作や『インフォーマーズ』にはそれでもあった登場人物への共感みたいなものが、今作からはほとんど感じ取ることができなかったのはやや残念だった。▼もっともその傾向は『アメリカン・サイコ』でも感じられたことであり、エリスにしてみればそのような感情さえも作品から排除させたいのかもしれない。▼今作を書くにあたってはレイモンド・チャンドラーに影響を受けたとのことで、エピグラフにも『ロング・グッドバイ』の一節が引用されているが、ある意味では究極のハードボイルド小説だとみなすことも可能かもしれない。



2015/6/29



▼アラン・シリトーの『漁船の絵』を再読了。▼あなたの好きな短編小説をあげてくださいと問われれば、まず最初に思い浮かぶのがこの作品。▼大学生の頃、あまり趣味が合うとはいえなかった、映画サークルの先輩と話していたときに、お互いこの小説が好きだということが判明して、嬉しいやら気恥ずかしいやら、なにか複雑な気分になったことを思い出します。▼小説のタイトルのつけかたは作家によって様々ですが、この作品の場合はストレートというか、即物的です。 ▼漁船を描いた一枚の絵をめぐる、元夫婦のものがたり。▼この「元」夫婦というところがこの作品の肝で、すでに別れてしまったふたりを唯一繋ぎ止めているのがこの「漁船の絵」というわけです。▼ある日、元妻が元夫の住む家にやってきて、ひとしきり喋った後で、壁にかかった絵に目を止めて「あの絵がほしいわ」と言う、元夫は「ほしかったら、持っていっていいぜ」と答えて、その絵を彼女に譲る。▼しかし数日後、質屋の前を通りかかった元夫はその絵が店頭に売られているのを発見して、仕方なく買い戻す。▼後日、ふたたび彼の元を訪れた元妻は何食わぬ顔で言う、「あれ、いい絵ねえ。とっても好きだったわ」……▼ その後の展開についてはぜひ作品を手に取って、読んでみてもらいたいと思います。▼この小説を初めて読んだ当時、ぼくは愛について何も知らなかったけれど(今もそう変わりませんが)、この作品が失われた大きな愛について語っているということは理解することができました。▼以来、何度も読み返していますし、読み返すたびに感動します。



2015/6/28



▼小川洋子の『薬指の標本』を再読了。▼小川洋子さんには『ミーナの行進』や『冷めない紅茶』、その他数え切れないくらいの短篇など、たくさんの素晴らしい小説がありますが、ぼくが一番好きなのはこの作品です。▼奇矯な物語を美しい文体で描いていくというのが小川作品の特徴ですが、ここでもその特質は高次元で達成されているのではないかと思います。▼楽譜に書かれた音、尿路結石、火傷の傷跡など、人々が持ち込むあらゆる品々の標本を作り、それらを保存している「標本室」。▼およそありえない設定ですが、小川さんの緻密で端正な文体で描かれると不思議と不自然さは感じられず、スーッと作品の世界に取り込まれるような気分に陥ります。▼彼女の持つ文章の力によって、作品が普遍性を獲得しているのです。▼「(……)標本にしてもらうと、とっても楽になれるって……」「ええ。確かにその通りです。ここは標本的救済の場所ですから」▼作中のこんな台詞に端的に表されているように、標本室に来る人々は、標本にしてもらう品々にまつわる思い出を標本にすることによって封じ込め、そこから解放されたいと望んでいます。▼このようにサイトに何かを記していくという行為も、自分にまつわる過去・現在を眺め、そこから何かを掬い取りあげて、直接的あるいは間接的に文章化するという作業なのですが、そこには少なからず過去や現在の何かから解放されたい、決着をつけたいという思惑が含まれているに違いありません。▼そう考えを進めていくと、『薬指の標本』に描かれる「標本的救済」行為のなかにも違った意味合いを探すことができそうですし、そこを探求していくのも読書の楽しみのひとつだといえるかもしれません。▼この作品ではまた、主人公と標本技術士とのちょっとアブナイ関係も描かれています。▼男女の微妙な関係性を描くのは小川さんの得意とするところですが、個人的好みからすると、『博士の愛した数式』はストイックすぎで、『ホテル・アイリス』は露骨すぎるように思えて、この『薬指の標本』がちょうどよい塩梅(?)だと思います。▼ふたりの関係性を表現するための小道具として黒い靴と(小川作品にはお馴染みの)和文タイプライターが使われていますが、おそらく男性作家であれば直截的に描くであろう場面においても、小川さんの筆致は夢見るように幻想的で、改めて読み返してみてもうっとりさせられるというか、見事というしかありません。▼一般的に小説の結末はオープンエンディングというか、読者の想像力が広がっていくようなものが好まれる傾向がありますが、この『薬指の標本』については完全に閉じられたエンディングになっています。▼主人公がドアをノックしてそれを開けるのと同時に作品の円環は閉じられます。▼主人公も読者も作品のなかに永遠に封じ込められるのです。



2015/5/17



▼ブラーの『Think Tank』を聴く。▼12年ぶりの新作『The Magic Whip』も素晴らしいが、わざわざこのサイトで触れるまでもないので、あえて前作にあたるこのアルバムを取り上げたい。▼というのも『The Magic Whip』リリースにあたっての記者会見における、デーモン・アルバーンの「『Think Tank』には何曲かほんとにひどい曲が含まれていた。それに対して4人で作った『The Magic Whip』はちゃんとしたブラーのアルバムだよ」という発言が気になっていたため。▼ぼくはまったくその意見には賛成できないし、実際のところ『Think Tank』にはただの1曲もひどい曲は含まれてはいない。▼まあ、おそらくは新作PRのためのデーモンのリップ・サービスだとは思うが、真に受ける人もいるかもしれないので強調しておきたい。▼『Think Tank』も『The Magic Whip』も優劣つけ難く素晴らしいが、サウンド的には大きな違いがある。▼高級なデモテープのような雰囲気さえある生々しいバンド・サウンドの『The Magic Whip』に対して、『Think Tank』はずっと緻密なサウンドに仕上がっているし、1曲を除いてグレアムが参加していないためか、それほどギターに比重は置かれず、アフリカ音楽、ダブ、ヒップホップ、ジャズといった多様な要素が含まれた、ブラーの最も冒険的なアルバムのひとつになっている。▼「Out of Time」「Sweet Song」「Battery in Your Leg」といったスロー・ナンバーの沁沁とした素晴らしさが特筆されるのもこのアルバムの特徴で、その辺りもヤンチャな雰囲気が復活した『The Magic Whip』との違いといえるかもしれない。▼それにしても、ストーン・ローゼズ後のバンドという趣の強かった「There's No Other Way」の頃を思うと、デーモンがいまだに衰えることのない創作意欲(昨年素晴らしいソロ・アルバムを出したばかりなのに!)と多方面に渡る活躍(ゴリラズ、ザ・グッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン etc)をみせる、これほど多彩で優れた「アーティスト」になるとは思わなかった。▼おそらく同世代のなかでは最も理想的な年の取り方をしているミュージシャンだろう。



2015/3/21



▼レッド・ツェッペリンの『V』を聴く。▼日本でのツェッペリンの評価には独特なものがあって、『Presence』の評価というものは海外では散々なものであるのに、日本では最高傑作という声が多い(個人的には海外は過小評価、日本は過大評価だと思っているが)。▼対して、この『V』については、海外では高く評価されている一方で、日本での評価はイマイチということになっている。▼こういった状況を生んでいるひとつの要因は、日本でのツェッペリンの評価というものに(ツェッペリンの伝道師を自負する)渋谷陽一氏の影響力が大きいということにあるのだろう。▼ぼく的には、このアルバムにアコースティック・サウンドがフィーチャーされていることもあって、比較的早くから好きになったツェッペリンのアルバムで、今でも彼らの(最高作ではないが)ベストのひとつだと思っている。▼考えてみれば『V』と『Presence』は彼らのアコースティックとエレクトリックの側面が両極端に表現されたアルバムだと言うことができるかもしれず、それゆえに賛否両論があるのかもしれない。▼『V』を改めて聴いてみて感じたのは、アコースティックを大幅に導入しているからといって、決してフォーク・ミュージック的に枯れた雰囲気にはなっていないことで、それはまた、彼らが演奏するブルース・ナンバーにあまりブルース魂が感じられないことにも似たようなことで、じゃあ何なのかといえば、何を演っても結局はツェッペリンの音楽と化すところが偉大であり、嫌いな人にとっては堪え難いことになってしまうのだろう。▼それにまた、これは『V』に限ったことではないが、ツェッペリンの音楽というものはジミー・ペイジのリフに基づいて作られ、それだけでほとんどが成立しているということで、こう言うと怒る人もいるかもしれないが、別にロバート・プラントがボーカルでなくてもよかったんじゃないかという気さえしてしまう。▼であるにもかかわらず、ツェッペリン解散後にはジミー・ペイジの神通力が全く通用しなくなったのは摩訶不思議としか言いようがない。▼(黒魔術の呪い?)



2015/2/27



▼ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番と14番を聴く。▼13番は、当初第六楽章として予定されていた、いわゆる『大フーガ』が外されて、より明るく軽い終楽章に差し替えられたことで何かと話題となる作品だが、出来如何はともかくとして、それまでの楽章の印象を破壊してしまうような『大フーガ』よりも、改作後のほうが全体のバランスや統一感が保たれていることは間違いないと思う。▼第二楽章や第四楽章のように短く、一聴すると橋渡し的にも思える楽章においても手抜きなく、硬軟取り混ぜて聴き手の緊張感を持続させてくれる。▼一方、14番は13番よりさらに長く、全7楽章もある作品だが、16あるベートーヴェンの弦楽四重奏曲のなかでどれかと問われれば、ぼくはこれを選ぶ。▼変奏曲形式の第四楽章は15分を超える長大な楽章だが、美しい楽想(それでいて関連しあった楽想)が次々と現れてきて、飽きるということがない。▼いずれもが晩年のベートーヴェンを代表する天才的な作品で、「天才的」という形容詞は彼には相応しいものではないかもしれないが、ハイドンやモーツァルトがここまで深淵な世界を描いたことはなく、バッハの作品群に対峙できる唯一の存在だという気がする。▼それでいてきわめて人間臭い部分を感じさせてくれるところに、この作曲家の本質のようなものがあるのかもしれない。

photoコーナーを更新しました。



2015/2/8



▼ローリング・ストーンズの『Through the Past, Darkly (Big Hits Vol. 2)』を聴く。▼ブライアン・ジョーンズの追悼盤としての性格も持つアルバムだが、ブタ鼻みたいになっている、ブライアンがあまり格好良いとはいえない写真がなぜかジャケットに使われている。▼また、「Mother's Little Helper」「You Better Move On」「Sittin' on a Fence」といった録音時期的には『Big Hits (High Tide and Green Grass) 』に入っていてもおかしくない楽曲が含まれていることが、このアルバムが間に合わせに編集されたことを物語っている。▼とは言え、シングル曲を中心とした楽曲はどれも素晴らしいもので、この時期のオリジナル・アルバムである『Between the Buttons』『Their Satanic Majesties Request』よりもクオリティは高いのではないかと思う(『Satanic Majesties』は個人的には好きですが)。▼「Let's Spend the Night Together」と「Ruby Tuesday」が同じシングルのA面とB面だったなんて、今考えると何と贅沢だろう(あるいはもったいない)と感じる。▼ぼくが偏愛するのは「We Love You」で、麻薬所持で投獄されたミックとキースが、サポートしてくれたファンに向けたメッセージ・ソングとして知られ、ビートルズのジョンとポールがコーラスで参加していることでも有名だが、サイケデリック期のストーンズの最高の成果のひとつではないだろうか。▼この楽曲には、プロモーション・フィルムも制作されていて、当時のレコーディングの様子も垣間見れるのだが、クスリで完全に目がトンでしまっているブライアンの姿を確認することもできる。



2015/1/20

 

最近聴いたもの。

▼サン・キル・ムーンの『Benji』。▼レッド・ハウス・ペインターズ時代から四半世紀余りの長いキャリアを持つマーク・コズレックだが、その作品がこれほど話題になったことは初めてではないだろうか。▼マークのボーカルとギターを中心としたサウンドで、それだけでもう世界が成り立ってしまっているのだけれども、そこに立脚するだけに甘んじることのないソングライティングの質の高さに驚嘆させられる。▼言葉数は多いが、その長さに倦むことなくじっくりと最後まで聴かせてくれるのはそのせいだろう。▼典型的な大器晩成というか、そのキャリアのなかで積み上げてきた技法が結晶化したような実に美しい作品。

▼プライマル・スクリームの『Give Out But Don't Give Up』。▼プライマルズのアルバムは『Screamadelica』を除いて全部処分したこともあったのだが、ここ1、2年で『Give Out〜』から『Evil Heat』までのCDを揃え直した。▼この『Give Out〜』は本国イギリスではメディアから酷評された一方、日本では彼らの存在が多くの洋楽ファンに認知された作品で、当時大阪のFM局で「Rocks」と「Funky Jam」が一日に何度もエアプレイされていたことを思い出す。▼改めて聴いてみると、当時感じていたよりずっと、というかサウンドからフレーズにいたるまでモロにローリング・ストーンズっぽいレコードで、メンバーは本気で『メイン・ストリートのならず者』みたいなアルバムを作ろうとしていたのかもしれない。▼しかしながら、中盤から後半にかけての無駄に長くダラダラと続く印象は如何ともし難い。▼結果的に、古典的なロック・フォーマットを目指したこのアルバムがプライマルズの他の作品よりも風化してしまったように思えるのは皮肉なことだ。▼とは言うものの、その失敗作な感じも含めて、今では面白く聴けてしまうのもまた20年という時の流れのおかげだとも言える。



2014/12/29



▼プライマル・スクリームの『Screamadelica』を聴く。▼リリース20周年記念リマスター盤を入手してビックリ。▼「Come Together」のヴァージョンが違う!▼ぼくが所有していたのは1991年リリース時に購入したアメリカのSire盤だったのだが、リマスター盤とは収録時間が異なるので調べてみたら、当初アメリカ盤においては「Come Together」が、Terry Farley Extended 12" Mixに差し替えられていることが判明した(ジャケットにはその旨の記載は一切なし)。▼アメリカ以外の国(つまりオリジナル仕様)では「Come Together」は『Screamadelica』独自ミックスのヴァージョンが収録されている。▼ぼくは『Screamadelica』というアルバムをプライマルズの最高傑作のみならず、ロック史に残る作品と見做して20年以上愛聴してきたというのに、それはオリジナルの形ではなかったのだ!▼また、この二つのヴァージョンは全然異なっていて、Terry Farley Extended 12" Mixはボビーの歌パートを残したオリジナルに近いミックスなのに対して、『Screamadelica』ヴァージョンはボビーのヴォーカルは一切使わず、ジェシー・ジャクソンの演説をフューチャーした大胆なリミックスを施している。▼ぼくは「Come Together」を『Screamadelica』という強力な作品のなかにおいてはやや弱い楽曲だと感じていたので、この曲の収録ヴァージョンが違っていたとしてもアルバムの評価が揺らぐことはないのだが、20年以上聴き馴れていた形と異なるという事実に対して違和感を抱かざるを得ないのは仕方のないことだろう。▼まあ、オリジナルの仕様を知ることなく終えてしまうこともあり得たことを思えば、それだけでもリマスター盤を購入した価値はあったのだと自分を納得させている。▼ケヴィン・シールズも関わったというリマスタリング自体には音圧が上がった以外にまったく違いを見出せなかったとしても。



2014/12/11



▼バッハ・コレギウム・ジャパンによるカンタータ・シリーズ第52集を聴く。▼このディスクには第147番と並んで、バッハのカンタータのなかでもっとも有名な第140番が収められている。▼147番が2度演奏される「主よ、人の望みの喜びよ」が飛び抜けて有名で、かつ実際に素晴らしいのだけれども、カンタータ全体としてのクオリティはこの140番のほうが勝っていると思う。▼有名なコラールだけでなく、ふたつある二重唱、それにいつもは単に繋ぎの役割にしか過ぎないこともあるレチタティーヴォまでもが素晴らしく、さらに第4曲のテノールによるコラールと終曲の旋律に同じものを使用することによってカンタータ全体に統一感が図られている。▼しかし、こんなに有名な曲であるのに(あるから?)スタンダードな演奏にはこれまであまり巡り会えなかった。▼リヒターの演奏は第1曲が超絶に遅いし、アーノンクールの新盤ではテノールがヘンなコブシを効かせるし、ガーディナーの旧盤では第4曲がテノールの合唱になっている。▼鈴木雅明の指揮ではそういった突飛な解釈はなく、いつも通り透明感のある良い意味での中庸な演奏を聴かせてくれる。▼表現意欲に欠けるという見方もあるのかもしれないが、主観的に過ぎる演奏が多いなかでは逆に際立って聴こえてるし、初めて作品を聴く人にも勧められるスタンダードな演奏というものは必要ではないだろうか。▼キリスト教徒でなくとも、バッハの音楽を聴くと敬虔な心持ちになるという人は多いと思う。▼ぼくもそうで、このディスクに収められたカンタータ第29番の第2曲などを聴いていると、訳もなく誰にでもなく祈り出したいような気分になってくる。▼バッハの音楽の持つ力や美しさが人を跪かせ、頭を垂れさせる。



2014/11/22

 

最近聴いたもの。

▼コールドプレイの『Ghost Stories』。▼熱心なロック・ファンのなかにはこのバンドを見限った人も多いのかもしれないが、このアルバムはどうしてなかなか悪くない。▼前作『Mylo Xyloto』の悪趣味なまでに装飾過多だったサウンドの反動からか、全編ミニマルで静かな音響世界で統一されている。▼1stが好きなぼくとしては、今回もやはりギターサウンドの復権とはいかなかったのは残念だが、音の感触としては初期の彼らに通じるものがあると感じる。▼クリス・マーティンの弾き語りに控え目な電子音が加えられた「Ocean」が一番気に入ったが、この曲のエンディングに続いて「A Sky Full of Stars」のイントロが鳴り響く瞬間の解放感はこのアルバムのハイライトだと思う。▼CDが売れないこのご時勢にあって、これほど(一見)地味でアンチ・コマーシャルなアルバムを、彼らほどのクラスのバンドが出すというのはなかなかの勇気というか、彼らがまだスピリッツを失ってはいないことを感じさせる。▼売上的にはこれまで通りとはいかないかもしれないが、長期的にみれば、信頼に足るロック・バンドとしての延命を図り得る作品となるのではないか。

▼シューマンのピアノ四重奏曲とピアノ五重奏曲を聴く。▼ピアノ四重奏曲のほうは聴くのは初めてで、まだまだぼくが知らない名曲というのはあるものだなあと感じ入った。▼シューマン、そしてシューベルトやブラームスなどの音楽を聴いていると、ベートーヴェンの与えたインパクトの大きさのようなものを感じることがあるのだけれど、このピアノ四重奏曲の出だしの動機はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の冒頭にそっくりで、それをモティーフにしながら新たな主題へと辿り着いていくさまは、楽聖ベートーヴェンをお手本にしながらもそれを乗り越えようとするシューマンの試行錯誤の現れではないかと想像したりもする。▼これら素晴らしい2作品のなかでも、四重奏曲の第3楽章と五重奏曲の第2楽章は、憂鬱な浪漫性と夢見るような叙情性を持つシューマンの典型として際立って響いてくるものがある。▼シューマンは交響曲や協奏曲よりも、ピアノ曲も含めた室内楽の作品のほうが圧倒的に素晴らしいと考える。▼おそらく規模の大きい作品だと大音量のなかでかき消されてしまいがちなシューマンのメランコリー、内省や内なる声みたいなものが音数の少ない楽曲のほうがダイレクトに伝わってくるからなのかもしれない。



2014/10/27



▼チャールズ・ミンガスの『Blues & Roots』を聴く。▼随分前に「クラシックを聴く際に「これはロックか否か?」ということを判断基準にする癖がある」というようなことを書いたが、ジャズについても同じことが言える。▼マイルスやオーネット・コールマンは「ロック」的なジャズ・ミュージシャンであり、デイヴ・ブルーベックやデクスター・ゴードンはあまり「ロック」じゃないミュージシャンということになる。▼そして、チャールズ・ミンガスは言うまでもないかもしれないが、ぼくにとって理想に近いような「ロック」的アーティストである。▼ジャズ界の裏話を集めたビル・クロウの『ジャズ・アネクドーツ』のなかで、友人に対しては良い人物だが、自分が(特に人種差別的な)酷い扱いを受けていると感じると、途端に気難しく攻撃的な人物になるということで、電話で音楽関係者(白人)に口汚く罵声を浴びせるミンガスの姿に出くわした友人のエピソードが紹介されていた。▼それを読んで、「音楽から受ける印象そのまんまの(ロックな)人なんだな〜」と妙に納得したことを覚えている。▼ミンガスはジャズ界でも屈指のソングライターのひとりだと思うのだが、いわゆるスタンダード・ナンバーになりえるような甘いテイストの作品はほとんど残していないため、その実力不相応に過小評価されていると思う。▼『Blues & Roots』はミンガス絶頂期と言ってもいい1960年にリリースされた作品で、当たり前のように大傑作なアルバムだが、決して安寧としたヤワなものではなく、聴き手を鼓舞し、挑発し、活を入れるような音楽なのだ。▼嘘だと思ったら、YouTubeで冒頭の「Wednesday Night Prayer Meeting」だけでも聴いてほしい。▼ミンガスの咆哮もばっちりと決まった、その血湧き肉踊る音楽を聴くと「さあ、月曜日からまた頑張ろう!」という気分になる。▼(たとえ現実には、月曜の午前中のうちにそんな気分は完全に消え去っているのだとしても)



2014/10/26



▼ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』を聴く。▼ご存知、村上春樹の『1Q84』のなかで何度も登場し、その存在が急激にクローズアップされた作品。▼映画ならともかく、実際に聴くことのできない小説で取り上げられたことによって音楽が注目を浴びるというのも珍しいが、そこは村上春樹の影響力の大きさを改めて感じるとともに、『セロニアス・モンクのいた風景』のあとがきにおいて「音楽の持つ素晴らしさが、どのように文章で表現され得るかということに、一人の書き手として昔から個人的に深い興味を持っている」と書いている春樹氏自身の意思(意図?)が浸透してきていることの証左なのかもしれない。▼今回聴いたのはチャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルによる演奏のもの。▼ぼくがヤナーチェクに興味を持ったのは村上春樹ではなくミラン・クンデラの影響なのだが、そのクンデラが『裏切られた遺言』のなかで(『シンフォニエッタ』と『タラス・ブーリバ』は)「もっともポピュラーな(平均的な音楽愛好家にはもっとも近づきやすい)作品として、この二つはほとんど定期的に同じレコードに入れられる」と書いているように、やはりこのCDにはその二つ(と『利口な女狐の物語』の組曲)が一緒に収められている。▼ぼくは『シンフォニエッタ』をヤナーチェクの作品のなかでは民族色がやや強く出ている作品だと感じている。▼これをきっかけとしてヤナーチェクの世界に入ったのであれば、ぜひ2つある弦楽四重奏曲、それに彼の素晴らしい一群のオペラ作品にも触れてほしいと思う。▼主要オペラについては、この『シンフォニエッタ』と同じく、マッケラスとウィーン・フィルがデッカに吹き込んでいる。▼今ではヤナーチェクのオペラを(しかも原語ヴァージョンで)大手レコード会社が一流指揮者とオーケストラを使って録音するなんて考えられないことで、今後も大きな価値観の転覆でもなければそれは実現不可能だろう。▼<むかしむかし、音楽は芸術文化と考えられていて、レコード会社も採算を度外視してでもその録音を後世に残そうとする気風・気概みたいなものがありました・・・・・>



2014/10/25



▼フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』を鑑賞。▼原題は『Potiche』というもので、劇中の台詞のなかで何度も登場し、「飾り壺」という風に訳されている。▼主人公の夫が経営しているのが傘工場であることと、カトリーヌ・ドヌーブの代表作(決して最高傑作ではないが)『シェルブールの雨傘』に引っ掛けた邦題になっているわけだが、ストーリーを見事に象徴している原題を少しでも生かしてほしかったという気が(映画を観終わった後には)してしまう。▼フランソワ・オゾンは長編デビュー作『ホームドラマ』を観て、「すごい監督が現れた!」と大いに期待したものだが、それ以降コンスタントに映画を制作してはいるものの、デビュー作から飛躍的には作品の向上が見られないという印象が(個人的には)ある。▼しかしながら、歌と踊りがあって、カラフルな色彩があって、性的に放埒で、ストーリーにはツイストを効かせた、この『しあわせの雨傘』には、かつての『ホームドラマ』や『焼け石に水』などに通じる最良のオゾンのテイストが楽しめる。▼前述の『シェルブールの雨傘』に加えて、ドヌーブとジェラール・ドパルデューの共演ということでフランソワ・トリュフォーの『終電車』にオマージュした部分もあるのだろうが、そればかりに気を取られているとどんどん予想をはぐらかされていく。▼これは両作品でドヌーブが演じたような古風な女性像から脱皮していくことを戯画化されたコメディタッチで描くドラマなのだ。▼その予想を裏切っていく(あるいは予想を超えていく)展開のダイナミズムみたいなものが、この作品を際立たせる原動力となっている。▼ちなみにこの映画はGyaO!で視聴したのだが、10/29までの期間限定無料配信なので、興味のある方は早めに是非。



2014/10/24



▼セロニアス・モンクの『Solo Monk』を聴く。▼NHK教育テレビの「2355」の金曜日「夜更かしワークショップ」の背景に流れているのが、このアルバムに収められている「I'm Confessin' (that I Love You)」。▼番組は毎回とは言わずとも寝る前になんとなく見ることがあるし、モンクのアルバムも以前から所有していたが、その二つが結びついていなかった。←『Solo Monk』をそれほど聴き込んではいないことがバレバレですね。▼改めて聴いてみて、モンクのピアノ・ソロの作品のなかでは一番洗練された響きを持つアルバムで、端的に言ってしまうと、ピアノ上手くなっていないか?という印象を受けた。▼プロデューサーはマイルス・デイヴィスとの仕事で有名なテオ・マセロで、彼の制作方針みたいなものも影響しているのだろうか。(もっとも、モンクがそれほど簡単にプロデューサーの言うことを聞くとも思えないのだが)▼マイルスとモンクを同時期にプロデュースしていたマセロには猛獣使いみたいな才覚があるのかもしれない。▼「I'm Confessin' (that I Love You)」も、モンクのオリジナル4曲(そのうち2曲は新曲)も良いが、個人的にお気に入りなのが「Everything Happens to Me」。▼フランク・シナトラをボーカリストに迎えたトミー・ドーシー楽団が初録音であったこの曲を、モンクは奇妙な間合いを持ったヘタウマの極致(失礼)のような演奏で聴かせる。▼ゴツゴツとした無骨な肌触りでありながら、痛切な情感がそのサウンドからどうしようもなく滲み出てくる。▼「君は選り分けることの重要性を知らなくてはならない。加えて、自分が演奏していないものの価値を、空白を用いることの、音楽をやり過ごすことの価値を知らなくてはならない。ただ余計なところをつまみ出せばそれでいいんだ」(『セロニアス・モンクのいた風景』よりモンクの言葉)



2014/10/23



▼村上春樹編集・翻訳による『セロニアス・モンクのいた風景』を読了。▼様々な文献からモンクについて書かれた文章を集めて一冊の本に仕立てあげたもの。▼少なくともモンクのレコードを少しでも聴いておかなければ、村上春樹が好きだからというだけでは少々つらい読み物かもしれない。▼読み始めた当初は、抜粋した寄せ集めの文章になんとなく物足りなさを感じていたが、読み進めていくうちに寄せ集めた文章のなかから徐々に、そして多角的に立ち上ってくるモンクの音楽や人となりに魅了されてしまった。▼決して人付き合いの得意とはいえなかったモンクだが、その音楽は人を惹き付けてやまない魅力を持っていたようだ。▼下積み期間が長く、順風満帆とはいえなかったモンクのキャリアにおいて、それでもいつも必ず彼をサポートしてくれるミュージシャン仲間や後援者がいたことが分かる。▼モンクに関する様々な文章を時系列に並べることによって、モンクのデビューから死に至るまでを順に追っていけるようになっている編集が素晴らく、変則的な伝記本といっていいかもしれない。▼なにより書き手と翻訳者のモンクに対する愛情がひしひしと伝わってくる、読み終わるとセロニアス・モンクやジャズのレコードを聴かずにはいられなくなる一冊だ。



2014/10/20



▼ファラオ・サンダースの『Karma』を聴く。▼コルトレーンの晩年の作品、『Kulu Se Mama』や『Meditations』といったアルバムが苦手な人にとっては、ファラオ・サンダースの名前を聞いただけで拒絶反応を起こすかもしれない。▼あの首を絞められた断末魔の叫びのようなサックス・プレイを延々と聴かされてしまうのかと。▼ところが、コルトレーンの死の2年後にリリースされたこのアルバムでは部分的にはフリージャズの要素も垣間見られるが、サンダースがすでに新しい境地へと移ったことをはっきりと感じさせる。▼1曲目の32分にもおよぶ「The Creator Has a Master Plan」では助奏の後、フルートによって奏でられるリフが楽曲のイメージを決定づける。▼それはフリーやサイケデリックというより、ブラジリアン・テイストの入ったフュージョンのような音楽で、クラブでかかったとしても違和感がないだろうし(多彩で華やかな打楽器の音は踊るのにピッタリかもしれない)、後にパット・メセニーが『Still Life (Talking)』で試みたような音楽をずっと以前に先取りしたものだともいえる。▼もちろん、ファラオの掠れたような独特なテナー・サックスの音は随所で聴くことができるが、ここでは音楽が安寧なものに陥らないためのちょうど良いアクセントとして機能しているように思う。▼続く「Colors」は前曲の強烈な印象からリスナーをクールダウンさせてアルバムを閉じる、優しい雰囲気を持った楽曲。▼コルトレーンのアルバムを聴いていただけでは、ファラオ・サンダースにこのようなオーガニックなメロディを書く才能があったとはまったく想像もつかない。▼最近聴いたなかでは最も驚かされ、かつ最も興奮させられた一枚。



2014/10/19



▼坂本龍一の『Sweet Revenge』を聴く。▼教授のオリジナル・アルバムのなかでも最低ランクに位置する平凡な作品というイメージを持っていたが、改めて注意深く聴いてみて、それほどには悪くないなと思い直すことができた。▼とは言うものの、やはり傑作アルバムとは言い難い。▼タイトル曲(映画『リトル・ブッダ』用に作られたが、ベルトルッチにボツにされてしまった曲)以外にはいつものクラシカルな要素がほとんど見受けられず、J-POPと洋楽、ダンス・ミュージックとボサノヴァと映画音楽との折衷主義的なもので、素材の良さを生かしきれていない幕の内弁当のようになってしまっている。▼アレンジやボーカリストの選択次第ではもっと良い曲になっていたはずなのに、という印象を受けるものが多い。▼「Psychedelic Afternoon」(日本サッカーのアンセムとしても有名)はアート・リンゼイの不安定なボーカルが楽曲の良さを伝えきれていないし、「Interruptions」のラップはバックトラックの素晴らしさを邪魔してしまっている。▼さらに言えば、ホリー・ジョンソンもロディ・フレイムも高野寛も教授の世界にはミスマッチだと思う。▼しかし、それらを乗り越えれば(かなりの忍耐力と脳内補完を必要とはするが)最終的には素材の良さのようなものを聴き取ることができるようになる。▼ボーカルをどのように扱うかということは坂本龍一の大きな命題なのかもしれないが、たくさんのボーカリストやラッパーを迎えたこのアルバムにおいても、最も優れた瞬間はタイトル曲と「Anna」(教授とボサノヴァとの初めての素晴らしい邂逅)というボーカルの無い楽曲にあることからしても(さらに、彼の最大のヒット曲「Energy Flow」もインスト曲であることを指摘してもいい)答えはすでに出てしまっているような気がする。



2014/10/15



▼ある日本人作曲家が雑誌の対談のなかで「シェーンベルクが音楽を駄目にした」というような内容のことを喋っているのを目にして、ぼくは思った。▼譜面を読むことが出来ても、楽器を弾くことが出来ても、必ずしもすべての音楽を理解できるというわけではないのだと。▼ぼくはそれまでも人生の多くの時間を音楽を聴くことに捧げてきた。▼そしてそれ以降、さらに音楽を無心に聴くことに邁進するようになった。▼譜面も読めず楽器も弾けないぼくみたいな人間が音楽を(少しでも)理解するようになるには音楽を、ただ音楽そのものを聴くことが必要なのだと理解したのだ。▼音楽理論など一切分からずとも、シェーンベルクのピアノ協奏曲を耳を澄まして聴いてみれば、その作品のユニークな美しさを感じ取ることはそれほど難しいことではない。▼シェーンベルクは自ら編み出した十二音技法によってドイツ音楽の支配力はこれから数百年間確保されるだろうと信じていた。▼ある特定の芸術ジャンル(=クラシック音楽)の衰退をたった一人の人物に転嫁するなど馬鹿馬鹿しい話だが、もしも責任が何処かにあるとすれば、それはシェーンベルクではなく、彼の発明を発展させることも、新たなる発明を発見することもできなかった後進の(先の発言をした人物も含む)作曲家たちなのではないだろうか。▼シェーンベルクはぼくに音楽の魅力はその旋律(だけ)にあるのではないことを教えてくれた。▼主旋律だけを追いかけるのではなく、音の響きそのものに耳を傾けること、音楽を全体として捉えること。▼それは音楽を損なうどころか、音楽の本当の美しさにぼくを導いてくれたのだった。



2014/10/13



▼ギア・カンチェリの『風は泣いている』を聴く。▼衝撃的なフォルティッシモと叙情的な旋律とが交互に襲ってくる構成が特徴的な作曲家で、この曲も例外ではないが叙情性のほうが勝っており、結果彼にとって最も有名な作品となっている。▼冒頭ピアノの一撃の後、ソロ・ヴィオラによる息の長い哀感漂う旋律が続くが、この主題は作品を通して繰り返され、作品のイメージを決定付けているように思う。▼20世紀後半、現代音楽のハードボイルドな響きに倦んだクラシック・ファンによって、アルヴォ・ペルトやヴァレンティン・シルヴェストロフといった作曲家とともにもてはやされたのも必然だったのかもしれない。▼カンチェリという人は常に新しい道を切り開いていくのではなく、自らが築いた様式美をひたすら磨き上げていくタイプの作曲家なので、世に出てきた当初に感じられた新鮮さは今現在では失われているが、だからといって、この『風は泣いている』の価値が減じるというわけではない。▼この作曲家が到達した境地を最も優れて表現した楽曲としてこれからも記憶され続けるに違いない。▼今回聴いたのは、スヴャトスラフ・ベロノゴフの独奏とグルシチェンコ指揮モスクワ国立響による演奏で、交響曲第1番と第7番も併録されたお得なCDだが、7番はカット有の完全版ではないことが玉に瑕。



2014/10/11



▼R.E.M.の『Fables of the Reconstruction』を聴く。▼おそらく彼らのアルバムのなかで最も過小評価されている作品ではないだろうか。▼メンバー自身がこのアルバムを気に入っていないという話が広く知れ渡っていたということもその理由のひとつになっていたと思われる。▼しかし、リイシュー盤に掲載されたピーター・バックのライナーノーツによると、彼らがこのアルバムを嫌っていたというのは誤解であり、ピーター個人としてはこの作品をとても気に入っているということが明らかにされている。▼ただ、今回改めて聴くにあたって「Can't Get There from Here」以外にどんな曲が入っていたか全く覚えていなかったくらいだから、ぼくとしてもなんとなく印象の薄いアルバムだという認識でいたことは告白しなければならない。▼聴き直してみて思ったのは、このアルバムにおけるピーター・バックのアルペジオを多用したジャングリーなギター・プレイがザ・スミスのジョニー・マーを彷彿とさせる瞬間がいくつかあったことで、たしかに当時からR.E.M.とスミスはよく比較されたりしていたが、ようやく実感としてその意見を理解することができた。▼突出した楽曲は見当たらないのだが(そのことがアルバムの印象を弱くしているのかも)、逆に埋め草的な曲もないので、良い意味でフラットにアルバムを聴き通すことができる。▼かつてペイヴメントのスティーヴン・マルクマスは初期R.E.M.のファンであったことを公言する一方で、その当時の最新作であった『Automatic for the People』に収録された「Everybody Hurts」のダサさを嘆いていたが、たしかにインディー/オルタナ・ロック的なサウンドが聴かれるのはこの『Fables of the Reconstruction』までであって、それだけにコアなファンにとっては偏愛の対象となりやすいのだろう。



2014/10/7

 

最近観た・聴いたもの。

▼ニール・ジョーダン監督の『モナリザ』を再鑑賞。▼出来不出来の激しい監督だが、これは傑作の部類で、同傾向の『クライング・ゲーム』より先に制作されているぶん、こちらのほうが新鮮な驚きがある。▼主人公を演じたボブ・ホスキンスがなんとも素晴らしい。▼刑務所帰りの冴えない中年男なのだが、裏稼業に関わっているだけあって、ときに暴力を厭わない鋭さを垣間見せたりするのも自然な感じに体現している。▼運転手が少女を救おうとするストーリーの共通性によって、『タクシー・ドライバー』と比較されたりもするが、シリアスな要素が散見するにも関わらず、『モナリザ』にはとぼけたユーモア感覚が全体を貫いているために、『タクシー・ドライバー』と違って、最後に爽やかなエピローグを付け加えても違和感を覚えるということはない。▼町並みのくすんだ色合い、(コーヒーではなく)やたら紅茶が出てくるところ、主人公の変わった友人・・・ぼくの好きなイギリス映画のテイストが揃っている。▼海を渡ってアメリカで映画制作するとニール・ジョーダンの本領が発揮できないのも、こういったイギリスの背景がその魅力の一端を担っているせいなのかもしれない。

▼ルー・リードの『Berlin』を聴く。▼このアルバムとの付き合いは30年近くになるだろうか、ずっと日本盤のアナログLPで聴いていたが、最近CDでも買い直した。▼おそらく多感な頃に聴いたレコード、ぼくの場合は15、6歳の頃に聴いたレコードというものはずっとその人の人生に付いて回るのだろう。▼『Psychocandy』『Hatful of Hollow』『Pet Sounds』『Revolver』『The Velvet Underground and Nico』そして『Berlin』、これらはぼくのなかで特別な位置を占め続けている。▼もし15歳のときに聴いていたのが、エリック・ドルフィーやチャールズ・ミンガスであったら、マーラーやシュニトケであったら、もちろん違ったことになっていただろうが、現実にはこれらのレコードをぼくは聴いていたのであって、そのことを誇りにしているわけではないが、身の丈にあった素晴らしい出会いであったと思う。▼このアルバムで特筆されるのは、なんといっても「The Kids」「The Bed」「Sad Song」と続くラストの3曲。▼この3曲の本当の素晴らしさを充分に味わうには、アルバムを最初から最後まで聴かなくてはいけない。▼そして、何度聴いても感動してしまう。▼きっと、人が誰かのことを記憶し続けるには、そのよすがとなるものが必要なのだと思うが、芸術家はそのことを一番良く知っている。▼ぼくにとってはルー・リードといえば『Berlin』であって、その音楽が聴こえる限り、ぼくのなかで彼は生き続ける。



2014/10/2

 

最近聴いたもの。

▼ブラーの『13』。▼今年出たデーモン・アルバーンのソロが素晴らしかったので、ブラーのアルバムも聴き返してみたくなった。▼このアルバムが発表された当時は冒頭3曲と「No Distance Left To Run」以外はなんだかスケッチ風の作品ばかりな印象があって、あまり聴いてはいなかったのだが、今聴いてみるととても良く感じられた。▼ブラーといえば、良くも悪くもある種の軽薄さみたいなものがその音楽を特徴づけていたが、このアルバムに関していえば浮ついた雰囲気は影をひそめ、もしかしたらそれがポップさに欠けるような気がして違和感を抱いていたのかもしれない。▼改めて聴いて一番気に入った「Caramel」など、ローファイなアレンジをハイファイなサウンドで録音したような趣きがあって、プロデューサーにウィリアム・オービットを迎えたことによるケミストリーが如実に感じられる。

▼アイスエイジの『New Brigade』。▼大変身の3rdを間もなくリリースの彼らだが、これは1stアルバム。▼たまたまamazonに安価で出されていたので購入した。▼全12曲で収録時間は僅か24分余りという、初期衝動を叩き付けた絵に描いたようなパンク・サウンドだが、ラース・フォン・トリアーの映画みたいなヨーロッパの底知れぬ怖さを感じさせる部分もあり一筋縄ではいかない。▼最近では珍しいハードコアなサウンドを聴いていると、かつて渋谷陽一が「ロックが若者の音楽というのはおかしい、年を取れば取るほどストレスは増えていって、ますますロックは必要になってくる」というようなことを言っていたのを思い出した。▼でも(ぼくを含めて)多くの人はロックを聴くことによってストレスを吹き飛ばすことのできる体力・精神力をも失っているのだと思う。▼このデンマーク出身の4人組には、忍耐や我慢、馬耳東風や不感症などによってなんとか日々をしのいでいくような態度とは(まだ)無縁だ。▼自分たちの可能性がどこまで広がっていくのか楽しみであるに違いない彼らを遠い羨望の眼差しで見てしまう(すでに損なわれてしまった)ぼくがいる。▼サウンド的には前述の通り激烈なものだが、よく聴くとギターは短い曲のなかにも多彩なフレーズを繰り出していて、3rdアルバムの変化の前触れをすでに感じさせる。



2014/9/28



▼角田光代の『紙の月』を読了。▼『八日目の蝉』を読んで、好みのタイプの作家さんではないなと思いながらも、何かしら引っ掛かるものを感じたので、この作品も手に取ってみた。▼結果、やはり『八日目の蝉』と同じような読後感を抱くことになった。▼出てくる人物誰もが愚か過ぎて共感を抱きにくい、男性キャラクターの描き方がどこか平板で主人公がのめり込む(あるいは嫌悪する)理由がいまひとつ伝わってこない、というのが両作品に共通する弱点だとぼくには感じられた。▼肝心なところで主人公が思考を放棄してしまうのは、彼女の心の弱さを表現しているとも言えるが、なぜ彼女があのような行動をするに至ったのかを過去に遡ってまで説明しようとしている作品のなかでは、いかにも説得力不足に映ってしまうのも仕方ないことかもしれない。▼それでも最後まで読み通すことができたのは、複数の語り手を通してのストーリーテリングの上手さ・面白さ、主人公の現実逃避願望がそのまま物理的な逃避行動に直結していく部分辺り所以ではないかと思う。▼どこまで逃げても逃げ切ることなどできやしない、現実や社会は姿形を変えてでも、またわたしの前に立ち塞がるのだからと、どこかで分かってはいても逃げるしかない主人公の姿に、詰まらないと言って切り捨ててしまうことのできない、ここに在ることの哀しみのようなものを感じる。



2014/9/23



▼ポール・ウェラーの『Wild Wood』を聴く。▼これほどの長期間に渡って、作品の質を落とすことなく第一線で活躍しているというのは彼とニック・ケイヴくらいのものかもしれない。▼しかもポール・ウェラーの場合、ずっと(イギリスでは)スターであり続けているのが凄いと思う。▼もちろん紆余曲折はあって、スタイル・カウンシル解散からソロ活動開始にかけてあたりがウェラーのキャリアにとっての危機とも言える時期だったかもしれない。▼スタイル・カウンシル後期には評価・人気ともに低く、ソロ活動を始めるにあたってもなかなかレコード会社が決まらず、その当時人気のあった世界で唯一ともいえる国の日本で最初にソロ契約をしたという経緯を記憶している。▼結果的に1stソロ・アルバムはイギリスでも日本でもチャートのトップ10に入り、評価的にもまずまずの成功を収めた。▼続いて、翌年に発表されたこの『Wild Wood』はさらなる高い評価とセールスを得ることになり、その後現在に至るまで息の長い活動を続けているわけだが、スタイル・カウンシルにあまり興味のなかったぼくにとっては、ザ・ジャム時代以来久々の復活作として印象深かったし、いまでも彼のソロ作品では一番好きなアルバムである。▼オープニングの「Sunflower」は「The Changingman」や「Peacock Suit」といった、その後の彼の創作活動の中心となる楽曲のプロトタイプとも言えるもので、なにかこの曲を書くことによって突破口が開けたような、そんな清々しさがある。▼ジャムの「English Rose」やスタカンの「You're the Best Thing」など、それまでにも彼のアコースティック・ナンバーには定評があったわけだが、このアルバムにおけるタイトル曲や「Country」でもそれは言えて、この素晴らしい作品のなかでも聴き所のポイントとなっている。▼ぼくがこのアルバムで特に気に入っているのがそのサウンドで、アーシーなロックと枯れたアコースティック、それに控え目で効果的な電子音とが実に自然な形で共存している。▼スタイル・カウンシルの頃のように露骨にオシャレな音を狙っているわけではないのに、出てくる音は(少し外していたスタカン時代より)よほど洗練されていて耳に心地好い。▼ところで、あるファンサイトに2011年にウェラーが受けたインタビューの翻訳が掲載されており、そこにあった発言が格好良かったので最後に引用しておきたい。▼Q.では、あなたはクラシックなアルバムのライブはやらないんですね? W:いや、来年、俺はクラシックなアルバムのライブをやるよ。だが、それは俺の場合は、めちゃめちゃ凄い新作のことだ。20年前のもんじゃねぇ。




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